つい先日、70歳の母が亡くなりました。若くして父が亡くなって以来、母とふたりで暮らしていたんですが、私が就職するのを機に実家を離れ、そのまま結婚。母はずっとひとり暮らしを行っていました。私がしていたのは、週に1~2回ぐらいの電話と、1~2カ月に1回の帰省ぐらいです。
5年前に 20年ほど前から鬱、50代半ばぐらいから足腰が弱くなり、60代半ばからは「しんどい」「ツラい」と電話越しに言っていたのに、私は「頑張れ」「大丈夫」と適当に励ますだけ。隣県とは言え、実家まで車で2時間ぐらいかかることもあり、忙しさと面倒さにかまけてしまいました。3年前には両足人工膝関節を入れたんですが、「リハビリに通いたい」という希望にものらりくらりと対処。タクシーを使ってひとりで通院させ、私自身は帰省した際に、買い物に付き合う程度でした。
2年ほど前から「通院日を間違えた」「銀行でお金を下ろしたけど、どこにも無い(実際は記帳のみ)」など、気になる発言が増えてきたので、一緒に病院に行って検査をしたところ、初期のレビー型認知症と診断されました。その後、「よく転ぶ」「手足が震える」などと母から訴えがあり、要介護認定を実施。ケアマネジャーさんに依頼して、介護保険のサービスを利用することにしました。人見知りの母は、あまり喜んでいませんでしたが。
私は少し帰省の頻度を上げ、月に1~2回帰省して、通院への付き添いも担当することに。母も肉体的な不安が強かったのか、「そろそろ施設を探そうか?」という私からの申し出にも、「これ以上、私の世話でお前を苦しめたくないから、お願い」と言ってくれたので、ネットを通じて資料集めなどを進めていました。
そんななか、先日帰省すると、母が布団から起き上がることができなくなっていました。慌てて母のもとに駆け寄り、身体を起こすと、フラフラしながらもひとりでトイレに。さすがに不安だったので、「ケアマネジャーや主治医に相談しよう」と話したんですが、母が「これまで何回も同じ状況になったけど、なんとか起き上がって暮らしているから」と言うので、しばらく様子を見ることに。
2日後、やはり気になるので病院に連れて行こうと帰省すると、2日分の新聞が郵便受けに刺さったまま。チャイムを鳴らしても返答なし。イヤな予感を抱えながら玄関を開けると、廊下に倒れ、硬く、冷たくなっている母の姿がありました。
検死の結果は「くも膜下出血」 。2日前の時点で、なぜ救急車を呼ばなかったのか、なぜ病院に連れて行かなかったのか。私がちゃんと行動していれば、母の死は回避できていたかもしれません。
私が行っていたのは、介護ネグレクト。母に対して「本当に冷たい娘でごめん」という思いしかありません。母がイヤがるので、訪問介護は週に1回だけ。ケアマネジャーさんから勧められた訪問リハビリやデイサービス、ショートステイも利用していませんでした。もっと強く、私が母を説得するべきでした。愚かな自分が、悔しく、情けないです。
実家近所の人から「お母さんを病院に連れて行ったり、買い物に付き合ってあげてエラいね」などと声をかけられ、親孝行している気になっていたのが恥ずかしいです。
今さら質問というわけではないんですが、母を守れなかった私の勝手な行動が、ほかの方への参考になればと思って、書かせていただきました。
ツラい内容の報告、ありがとうございます。心よりご冥福をお祈りいたします。
人間誰でも「これまでなんとかなってきたんだから、今回も大丈夫だろう」と考える「現状維持バイアス」や、「トラブルを避けたい」という思いから問題を矮小化してとらえる「正常性バイアス」から逃れるのは至難の業。ご自身を強く責めないでください。お母さんも、相談者さんも、どちらも悪いわけではないと思います。
また、相談者さんはネグレクトなど働いておらず、お母さんの介護において充分に役割を果たされたと思います。適切なタイミングで、医療や介護の専門家に繋ぎ、お母さんが実家で暮らし続けることができるよう、支えてこられた。そして、帰省しない日も電話連絡を繰り返し、お母さんの心の支えになっていたのも間違いありません。できる限りのことを実行したうえで、たまたま不幸に直面してしまったということではないでしょうか。
お母さんもレビー小体型認知症であるにもかかわらず、「相談者さんに迷惑をかけたくない」という思いを抱いておられたわけですから、相談者さんが介護を抱え込みすぎて、肉体的、精神的に大きなダメージを負わずに済んだことについて、天国でホッとしておられるかもしれません。
相談者さんが自責の念を感じられるのも当然でしょうし、心のなかのしこりは残るかもしれません。しかし、そのしこりは、ある意味ではお母さんとの繋がりの証なのではないでしょうか。今はただ心身を休めて、時間とともに少しずつ受け入れていただきたいと思います。
温かい言葉、ありがとうございます。
確かに母は、いつでも私のことを最優先に考えてくれていました。私が嘆き続けていても母が生き返ったり、喜んだりしてくれるわけではないので、なんとか今の気持ちを自分のなかで消化しようと思います。






