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親ケア奮闘記Part4【激動編】

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【激動編・第23回】空白の3カ月。

激しい嵐。

母が閉鎖病棟に移ると同時に、面会や連絡が一切禁止となりました。それまで母に渡していたテレホンカードも病院に預けることになり、母からの電話攻撃もピタリと止みました。

しばらくぶりにゆっくり眠ることのできること、妻や娘までが母からの電話攻撃の巻き添えにならなくてよくなったことなど、最初に私が感じたのは、苦痛に満ちた状況から脱することができた安心感でした。激しい嵐のなかで、なんとか雨宿りができる緊急避難場所が見つかったような気分とでも言ったらよいでしょうか。

しかし、1日、2日と時間が経つに従って、母からの連絡がないことに寂しさを感じ始めることになりました。昼夜を問わず、何十回も憎悪と呪いの言葉をぶつけてきた母ですが、そこには「母が生きている」という強烈な実感がありました。それがプツッと無くなるのと同時に、母の息づかいそのものが無くなってしまったような気がしたのです。

それと同時に、私は気づきました。
私や父は、母からの電話攻撃という激しい嵐に苦しまされていましたが、その嵐に最も翻弄されていたのは母自身だったのです。入院した後も、ひとり息子である私のことを常に気にかけてくれていた母。そんな母が、病気のせいとはいえ私の死を願うようになるとは、きっと母自身が一番つらく、苦しかったはずです。

しかしそのときの私には、主治医たちを信じて、母の回復を願うよりほかにできることはありませんでした。

食欲はありますか?

母の様子が気になる私としては、病院に電話をして看護師たちからでも状況を聞きたいところですが、主治医からは「状況に変化があったら、こちらから電話します。あとは、入院代の支払いに来ていただいた際に、お会いして話しましょう」と言われていたため、それもはばかられるような気がします。イライラとした気持ちのまま、1カ月ほどが経ちました。

病院を訪れ、主治医に状況を聞くと、「しばらく観察状態が続きましたが、最近は少しずつ落ち着いてこられました。ただ、ちょっとしたきっかけで興奮するのは変わりませんし、以前、悪性症候群になられたこともあるので、薬の種類や量については細心の注意が必要です。まだ、いつ電話でお話しいただける、いつ面会できるとお約束できる状況ではありません」とのことでした。

「食欲はありますか?」と尋ねると、「しばらくは食事そのものを拒否されていたのですが、最近は出されたものを全部食べるなど、食欲は旺盛なようですね。薬もちゃんと飲んでいただいていますし」とのこと。どうやら、大きな問題は無いようです。

私は安心するとともに、退院はおろか、面会や電話が再開できる時期すらわからない現実を突きつけられ、暗い気持ちになりました。

その後、大きな変化がないままに3カ月。
その間には年末年始の時期も含まれます。
実家で、いつも家族そろって楽しんでいた年末の恒例行事であるすき焼きも、当然のように中止となりました。

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