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親ケア奮闘記Part3【迷走編】

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【迷走編・第27回】相談できる相手。

抱え込んじゃダメです。

当時の私にとって、Kさんは救いの神のような存在でした。悩みに対して適切なアドバイスを行うだけでなく、テキパキと実務的な手続きを進め、実際のサービス手配までしてくれるのです。

父がKさんのことを信頼したのも大きなポイントで、私から言ってもダメなことでも、Kさんから話してもらうと素直に従ってくれたりしました。

「介護についての困ったことは、絶対に抱え込んじゃダメです。どんどん相談してください。そのために私たちのような専門職がいるんですから」
笑いながらそう話すKさんは、おそらくその明るさと経験、知識、行動力で、多くの人を支えてきたに違いありません。

Kさんとの出会いを通じて、介護を身内だけ、ましてや一人だけで抱え込むことの愚かさと、信頼できる相談相手を持つことの大切さを学ばせてもらいました。

このKさんには、その後もずっとお世話になることになります。

これは、私の大事な息子だから。

父について、食事などの心配が無くなったことで、私は気分的にかなりラクになりました。

毎週1回ぐらい、電子レンジで温めるタイプのご飯とインスタントみそ汁、レトルトのおかゆ、ペットボトルのお茶をまとめ買いしておけば、あとは栄養のバランスを考えた弁当が1日2回届くわけですから、腐ったものを食べて食中毒になったりすることもありません。

ただ、父を連れて買い物に行くたびに、「孝ちゃん、ソフトクリームが食べたいがね」
「孝ちゃん、豆菓子を買ってほしいがね」などとおねだりされるのが、少しばかり鬱陶しくはありましたが(苦笑)。

緊急警報装置については、ある意味でお守りみたいなもの。使わなければいけないような場面が訪れないのが一番良いわけですし、とりあえずは実家に端末が設置されただけで満足していました。

たまたま娘を連れて帰省した際に、娘がなんとなく警報装置のボタンを押してしまい、ちょっとした騒ぎになったのも、この頃のこと。今となっては、懐かしい思い出の一つです。

母の病状は、面会に行くたびに少し上向きになったり、逆に少し悪化したりと一進一退を繰り返していました。

私が面会に行っている間は、病院の敷地内を自由に行動しても良くなっていたので、病院の売店に連れて行っては母の身のまわりの品やちょっとしたお菓子を買ってあげたり、母の好きな果物を持って行っては中庭で一緒に食べたりしていました。

入院当初、絶望的に寂しく感じられた病院も、何回か通ううちに私自身が少しずつ慣れてきたのか、ちゃんと人間らしい生活が行われていることも見て取れるようになってきました。

同じ閉鎖病棟の患者さんたちのなかにも、私のことを覚えてくれる人が増えてきて、「今日はお母さん、元気そうで良いわね」などと声をかけてくれたりします。

なかには、私が死んだ夫の生まれ変わりだと信じ込んで、ずっと自分の病室に連れ込もうとするお婆さんがいたりもしましたが、そんなときには必ず母が割って入って「これは、私の大事な息子だから」と言っていました。

当時、妻と両親の状況について話しあうときにも「ゴールはまだ見えないけど、それなりに良い方向に向かっているんじゃないかな」などと言っていたのを覚えています。

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