介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第178回 タクさんの脳トレ その1【認知症初期・中期】(2007年2月4日)

タクさんがまだ介護サービスを全然受けていなかった認知症初期から中期の頃(認知症発症8年くらいまで)、自宅でちょっとした「脳トレ」を私とやっていました。
「脳トレ」なんて言葉は当時聞かなかったような気がします。
私も脳トレというほどではなく、父が楽しんでできればいいな~とか、ヒマつぶしにもなるし、気にいって張り合いを持ってやってくれたらな~、そんな気持ちから始めました。
以前に少し書いたことと重複するかと思いますが、今回は「脳トレ」としてまとめてみました。

◆じゃんけん
「じゃんけんなんて、わけないさ!」と言って、父はいつもすぐ乗ってくれました。
グー・チョキ・パーはできましたが、時々チョキがさっさとうまく出せない時がありました。
単純な遊びですが、勝ち負けを私の方が上手く調整し譲ってあげて、とても楽しく遊べました。
特養に入った頃になると(認知症発症10年以上)、チョキがうまくできなくなりました。
幼児がやるように、親指と人差し指でのチョキになりました。
それでも笑顔でやりました。
それに、この頃は勝ち負けが分からなくなりましたので、いつも「お父さんの勝ち~♪」と言って、勝たせていました。
そのうち、グーかパーしか出せなくなりました。
もっと認知症が進んだ昨年頃(亡くなる年、認知症発症13年)は、じゃんけんに無関心になりました。
それでも、じゃんけんの「じゃん・けん・ぽい」の3拍子のリズムは覚えていて、私が一人でやると「うん・うん・うん」とうなずいていました。
父と楽しく笑いながらやっていた頃が懐かしいです。
指先をリズムに合わせてその形に瞬間的に出す行為は、簡単そうで難しく、でも、一緒に楽しめる遊びだと思います。
私がオーバーなリアクションで色々しゃべりながらしたので、父は喜んだのだと思います。
<注>
地域によっては「じゃん・けん・ぽん」と言ったり、「じゃん・けん・ぽい」だったり、色々あるかと思います。父は「ぽい」の方でした。
ちなみに私が小学生の頃住んでいた都内のある地域では「じゃい・けん・ぽん」でした。

◆せっせっせーのよいよいよい(手遊び)
これは結構難しいです。
「♪~夏もちーかづく 八十八夜 トントン~♪」という、
歌に合わせて向かい合ったお互いの掌を合わせたり、手拍子したり…。
女の子なら子供の頃やったことがあると思います。
父は男だから、こんな遊びを子供の頃やったのかどうかわかりません。
父のきょうだいは男が多く、女は姉一人でしたから。
拍手を「ポン」と1回した直後、交差したお互いの掌を「ポン」と弾かせ合わせるところが難しいのです。
文章でこうして書くとなお難しい(笑)
でも、父の手を取ってゆっくり教えてあげると、歌に合わせて一瞬遅れながらもできるようになりました。
できると父もとても喜んで、何度も一緒にやりました。
この「八十八夜」以外に、「桃太郎さん」でも歌いながら同様にやりました。
これらは、認知症中期も後半になるとできませんでした。
以前のように手を取って教えても、できない、わからないで、父は面白くなくて「もう、いいよ!」となりました。
それからは無理に手遊びはせず、これらの歌だけ一緒に歌うことにしました。
この手遊びも、リズムに合わせて瞬間的に手を相手に合わせて動作することが、脳に刺激になると思います。
もっと父とやりたかったな~。

長くなりそうなので、「脳トレ」は次回に続きます。 

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