介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第93回 認知症になって好きになったこと、「歌」  (認知症中期のタクさん その21)(2006年10月15日)

父が認知症になってから特に好きになった事柄を書いてみます。
好きになった事柄がはっきりしていたので、介護するにあたり助かりました。

◆歌を歌うこと
以前にも書きましたが、私が小学生の頃、父は太平洋戦争関連の連続TVドラマをいつも観ていて、それを見終わったあとなどに軍歌を元気良く大きい声で歌ったりしていました。
でも、私達家族が「お父さん、ヘタだ~!」などと冷やかしたため、「お父さんは音痴だからね。学校の成績も勉強はできたけど唱歌は『甲、乙、丙、丁』の『丙』だったからな」と、笑って返答はしていた父でしたが、冷やかしたせいかあまり歌いませんでした。
父が歌を歌っていた記憶は私の中ではその程度でした。

ところが、デイサービスに行くようになった父は、家に帰ってくるととてもよく歌を歌うようになりました。
デイでの歌の時間が巧を奏したのでしょう。
デイの記録ノートにも父が「同期の桜」を歌ったとか頻繁に書かれていましたし、送迎車での職員さんとのやり取りでもそう言われました。
デイのお陰で父本来の歌好きが呼び起こされ、人に冷やかされることもなく、人の顔色を伺うこともなく、元気に歌うようになったようでした。
私は「デイに行くようになって、父はとても明るくなったよ」と、ことあるごとに人に話しました。
本当にそうでした。

父のお得意は主に軍歌なのですが、戦地の中国で実際歌ったのかどうかわかりませんが、たくさん知っていることからすると、過去にずいぶん歌ったと思われます。
また、父自身認知症になる前から、軍歌や古い歌謡曲の歌本を買い集めたり、図書館の歌本のコピーを取ったりしていくつか持っていました。
父のそれらの本のお陰で歌詞が分かり、私も父と一緒に歌うのに役立ちました。
父が転んで右膝にひびが入り、皆勤だったデイを一日休んだ日にも、父と一緒に歌ざんまいの一日を送りました。
歌を歌っていれば足が痛いのも紛れたし、父も私も楽しく過ごせて、歌さまさまでした。

父の歌は歌う程にますます上手になって、全然音痴ではなく、時にはビブラートまで効かせて歌っていました。
父の場合は、機嫌が悪い時でも私から「じゃ、歌でも歌ってみるか♪」といきなり誘いかけても大抵乗ってくれて、一緒に歌いだすと機嫌が良くなる場合もありました。
場合によっては、所構わず歌いだそうとすることもありました。
そんな時の曲は「同期の桜」でした。
たとえば、病院で長く順番待ちをしている時。
現在の特養に入居する時、玄関でちょっと座って待たされたわずかな時間にも。
ショートステイに行く時の送迎車に私と一緒に乗った時。
「同期の桜」のことを「いい曲だよな。別に変な内容じゃないしな」と父は言っていました。
また、自宅での入浴中、浴槽につかって気分良く「いい湯だな」を歌いだしたりしました。
勿論、お風呂でも父に合わせて私も一緒に歌います。
この曲は入浴時の定番歌になりました。

父の得意な歌は他にも「東京音頭」「炭鉱節」「武田節」「黒田節」「金色夜叉」
「東京行進曲」「旅の夜風」「ラバウル小唄」「異国の丘」「父よ貴方は強かった」などなど、そして昭和20~30年代の歌謡曲、童謡や小学唱歌の数々でした。
父は歌詞を忘れてしまい歌えないけれど、知っている歌で楽しい気分になれる歌として「東京カンカン娘」「青い山脈」「愛しちゃったのよ」「幸せなら手を叩こう」などなど。
父は私に「あんた歌上手いじゃないか♪」と言ってくれたりしました。(私の名前は忘れているので「あんた」)

認知症中期までは(3年前、2003年頃まで)、結構歌詞を思い出すことが出来て私に教えてくれたりしました。
私も元来とても歌うことが好きなので、父と一緒に歌うことはとても楽しく、父と共通の良い趣味を持てて良かったと思いました。
ただし、父の歌好きは父の傍で父に直接歌いかけてあげないと効果はありません。
認知症が進んでしまうと、音楽会やTVでの音楽番組、流れている音楽テープやラジオなどは聞こえていても認識できないようです。
特養で音楽会や演奏会があって父と一緒に参加しますが、音楽を聴いている認識がないようで、説明してもわかっていないようです。
場合によってはアコーディオンや太鼓の音など、大きな音を出す楽器はうるさいとしか感じない時もあるようです。
現在の父には、そばで人が父自身に歌ってあげることでしか、歌を認識できないようです。
父が特養に入居してからも、面会に行って頻繁に父と歌いました。
何しろ話題がなくても歌なら共に楽しい気分になれますし、歌を忘れないためにもなりますしね。

ユニットのリビングで歌っていると、他の入居者さんが寄って来て一緒に歌うこともありました。
離れた場所にいても歌が聞こえているので、合わせて一緒に歌って下さる方もいて、大合唱になることもあります。
こんな時に歌うのは、女性入居者が多いせいでもあり、童謡や小学唱歌、皆さんがお好きな「東京音頭」などです。
でも、父と同世代の女性入居者は「同期の桜」などもよく知っていて一緒に歌って下さいます。
入居者の方々も「懐かしい」とおっしゃって、その歌について話して下さることもあります。
私自身も歌いながら、昔の曲や童謡や小学唱歌など、本当に良い曲だとしみじみ感じることが多いです。

しかし、今年になってからの父は体力も衰え、話し声も小さくなり、認知症も一層進んで、残念なことにほとんど歌えなくなってしまいました。
でも、歌ってあげると覚えているようです。
昨年までなら、歌わない時でも上手なもみ手の手拍子をしてくれ、「さて!」とか「はい!」とかの合いの手を入れて盛り上げてくれたのに…。
先日の父は私の歌に合わせて、歌えないけれど体を左右に動かしてリズムをとってくれました。
それだけでも嬉しいことでした。
私が歌うと父が「うんうん」と頷いてくれるのは、父も心で歌っていることなんだと思います。
だから、私はこれからも、父が歌えなくてもそばで父の好きな曲を歌ってあげたいと思っています。
歌って、本当に良いものですね!!

[参照]
>タクさんと戦争
>同期の桜

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