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介護日記・二人の父の雑記帳

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第38回 認知症初期のタクさん その3(最愛の姉の死)(2006年8月24日)

1999年晩冬、父と最も親しかった姉(私の伯母)が入院、父を連れて見舞いに行きました。
何とか話は出来ましたが、かなり容態は悪そうでした。
伯母は軽い認知症でしたが、思い出多い私のことはわかって喜んでくれました。

父に説明すると、どれだけわかったか疑わしいですが「頑張れよ!!」と声をかけていました。
でも、顔色が良く無く寝たきりになり、よく知っている伯母とは随分様子が違って見えましたから、父には自分の姉だとわからなかったでしょう。
それでも、傍で励ましの声をかけていました。

その伯母が、それから半年後に亡くなりました。
葬儀のとき、父は自分の姉だと実感が全くなかったようでした。
伯母の顔を覗き込んで「誰だろう?」の表情でしたが、空気が読めたのか神妙になっていました。

時間があると葬儀場をあちこちキョロキョロ物珍しそうに見て歩き、親しい親戚関係もわからない様子で、自ら親戚に挨拶などすることはありませんでした。
それでも促すと、通り一遍の挨拶や返事はできていました。
親しい親戚の名前だけは覚えているようでしたが、顔の判別が付かないようでした。

珍しそうにキョロキョロ見て回る行動は、その後も様々な場面でよくやっていました。
「これは何?これは○○だ!ここはどこ?」と、自分で確認納得するための行為だったのかもしれません。
その行動は割合自然な感じでしたので、他の人から見たら通常の人とさほど違いはなく見えたかもしれません。

後に、父がショートステイを利用するようになり、ショート中に「姉(あね)さんが迎えに来るから…」とよく言っていたようでした。
私が迎えに行っても「姉(あね)さんが迎えに来るからいい!」と私に向かって言ったこともありました。

また、その後の父との話題の中で、亡くなった伯母のことが出て「姉(あね)さん、どうしてるかな?」と父。
亡くなったと説明しても「そんなはずはない!聞いてないぞ!」と反応。
それからは時々話題に出たときは、父を怒らせないため、伯母は生きているとして話を合わせるとこじれることはありませんでした。

伯母の葬儀の席で、父のすぐ下の弟(私の叔父)が来ていましたが、叔父はいつものように私や父に声を掛けることもなく、ずっと同じ席に居て周りを見回しているだけでした。
どうしたのかな??叔父さんらしくないな?と感じました。

その後、この叔父も当時すでに軽い認知症だったことを知りました。
父の姉もそうでしたし、父の四人兄弟(元は五人だった)のうち三人も認知症に…。

タクさんの家系は認知症一族として、私の従兄弟なども、すでに開き直っております。

[参照]
>タクさんの病歴と経過 その1 
>父の認知症の兆候  
>ボケたタクさんの元へ通い始めた頃
>ボケたタクさんの元へ通い始めた頃 その2(物忘れ)
>ボケたタクさんの元へ通い始めた頃 その3(まだ何でもできた)
>認知症初期のタクさん(入院はこりごり)
>認知症初期のタクさん その2(初めての迷子)

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