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親ケア奮闘記Part5【慟哭編】

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【慟哭編・第2回】温泉へ行こう。 その1

素直に楽しんだらいいがね。

母が退院して1カ月ほどが経った頃。週に1回の通院だったのが、母の状態が安定していることを理由に2週間に1回に変更となりました。通院の手間が軽くなるのはもちろんですが、母が落ち着いて暮らせるようになったことが何より嬉しく思えました。

そこで私は、母の退院と順調な回復を祝って、かねてから考えていた家族旅行を実行に移すことに。
「そんなの、もったいないから」と、最初は遠慮していた母ですが、「孝ちゃんがせっかくお祝いしてくれるんだから、素直に楽しんだらいいがね。みんなでおいしいものを食べるがね」と説得する父に根負けし、私の妻子も合わせ、総勢5人で温泉に行くことになりました。

旅行といっても、そんなに遠くへ行くわけではありません。実家の最寄りの駅から30分ほどのところにある、榊原温泉というところを選びました。私が子どもの頃、両親に泊まりがけで連れて行ってもらったり、成人してからは日帰り温泉に出かけたりした、ある意味、思い出の温泉でもあります。

旅行の前日、私は両親の荷物を準備するため、妻子より一足早く実家に向かいました。妻子は旅行当日、駅で合流する予定です。

実家に着くと、いつもなら真っ先に迎えに出てくるはずの母の姿がありません。いぶかしく思いながら玄関を上がってリビングに入ると、テレビに向かって将棋ゲームに夢中になっている父の姿が見えました。「よっしゃ〜、ざまぁ見ろ。アホたれ〜」など、対局相手であるCPUを罵りまくっています。これは見慣れた姿なので、驚く気にもなりません。

「ただいま。母さんは?」
「孝ちゃん、お帰りぃ!」
「うん。で、母さんは?」
「知らんがね」
「『知らんがね』じゃないだろ。母さん、一人でどこか出かけたの?」
「だから、知らんもんは知らんがね」

何かやっているほうが気がラクだから。

仕方ない、父を怒鳴りつけようとしたとき、両親の寝室からガサッという物音がしました。
「母さん?」と声をかけて戸を開けると、「あぁ、孝治か」といって笑う母の姿。イヤな予感がしていただけに、ホッとしました。

「どうしたの? 靴下だらけになってるけど?」
「父さんの靴下が無茶苦茶になっていたから、片付けようと思ったらえらい時間がかかって……」
足元には何十足もの靴下が、積み上げられています。タンスから引き抜かれた引き出しには、4〜5足ほどが入っているだけ。

「えらい時間がって、何時からやってるの?」
「朝からやって、途中で昼ご飯を食べて、それからも……」
「ちょっと……。もう5〜6時間はやってるわけ? そんなにすごい数じゃないでしょ?」
「思うようにキチッとできないから、やり直しているうちに今までかかっちゃった」
「そんなに根を詰めたら、病気に障るかもしれないから、もう止めよう。俺も手伝うから、ちゃちゃっと片付けよう。って言うか、そもそも自分の分の靴下を片付けるのは、父さんの役割でしょ」

退院後、母の家事負担を減らし、少しでも病気の再発を防ぐように、自分にできることは極力自分で行うように父に言い聞かせていたのですが、母によると、そんな約束は無かったことになっているとのこと。ある程度予想はしていたものの、父のダメッぷりには呆れるばかりです。

「私も、何かやっているほうが気がラクだから」
「それで1日中、靴下を出したり仕舞ったり? あんまり良い状態には思えないけど?」

母には昔から物事にこだわりすぎるところがあり、何かを片付けたり掃除したりするときには、自分のなかで納得がいかない限り、しつこくやり続けるクセがありました。

しかし長い入院生活のうちに、主治医とさまざまな話を交わすなかで、「同じことにしつこくこだわる人は、心の病気になりやすい」「退院後も、些細なことにこだわり続けるようになったら、黄信号と思ってほしい」といったことを聞かされていた私としては、心中穏やかではありません。

あとで、両親にしっかり注意しないと……。そんなことを考えていると、母が意外なひと言を発しました。

「孝治。私、温泉には行けないと思う」

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