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親ケア奮闘記〜ある日、親が壊れた。〜

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親ケア奮闘記【番外編】母が亡くなりました。

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4月3日の夜、母が亡くなりました。

2020年4月3日22時45分、母・横井かつ子が入院先の病院で亡くなりました。享年84歳、死因は乳ガンです。

法名は「釋克桜(しゃくこくおう)」。「釈尊の弟子としてさまざまな病や苦しみを克服し、大好きな桜に囲まれた日々を送れるように」との意味と聞きました。

3月の中旬、1年前に手術をした乳ガンの再発や転移などから、呼吸が苦しくなったことから、急遽入院して3週間弱。連日、母のもとへと通い、励ましたり、思い出話をしたりといった時間を過ごしました。最後のほうはまともに飲食することもできなかったのですが、私が口元までスプーンで運ぶ介護食の果物ゼリーや、好物のアーモンドドリンクだけは、嬉しそうに飲み込んでくれました。

母の最期の言葉は、亡くなる2日前に私に向かって言ってくれた「ありがとう」。今、思い出しても、グッときてしまいますね。

新型コロナウィルスが大きな社会問題となっていることもあり、極力小規模な葬儀に。通夜も行わない形で家族のみで告別式を行いました。

にもかかわらず、多くの方々から心のこもった弔電やメッセージなどをいただき、心より感謝しています。

月日が経ち、忘れてしまう前に、葬儀当日に私が行った喪主あいさつをつづっておきます。

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母さん、本当に、本当にお疲れ様でした。そして母を支えていただいた、介護、医療をはじめ、すべての方々、本当にありがとうございました。

母さんの頭と心が壊れてしまったのが、2001年。それから約19年、母さんにとっては不安で、悲しい、暗闇のなかで生きるような日々だったと思います。

大切な記憶や感情を次々と忘れていくなかで、俺のことだけは最期まで忘れずにいてくれたこと、心から感謝しています。

母さんに介護が必要になったからこそ、俺は介護というものと本気で向き合い、自分にできる役割を果たそうと考えるようになりました。そして、介護というものがあったからこそ、母さんや父さんと本気で向き合うことができました。

母さんたちは、自分のすべてをかけて、大切なことを教えてくれたように感じています。

母さん、産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。最期まで忘れないでいてくれてありがとう。

今はただ、安らかに。そして、天国から見守ってください。
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これからも「親ケア奮闘記」や介護についての講演会などで、母とのエピソードを紹介していくつもりです。


最後に。

最後の最後まで、私のことを心から愛してくれた母に、精いっぱいの感謝の気持ちを捧げたいと思います。

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