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介護日記・二人の父の雑記帳

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第265回 私なりの頑張らない介護(2007年8月18日)

人には得意なことと苦手なことがあります。
私は努力して苦手なことを克服することもありますが、「絶対これはアカン」というものもあって、それについては努力ではなく別の方法で乗り切っていくことをしています。
二人の父の介護に当たって、私はそれを適度に使い分けてやってきたつもりです。
今回はそんなことも含めてまとめてみました。

◆同居はできない
様々な事情から同居はできないことが前提でしたので、二人の父の介護に当たっては、通い介護ということを大きな柱にして、てはそのことを中心に回っていました。
しかし、父タクさんの通い介護が、まさか10年にも及ぶとは、最初は思ってもみませんでした。

◆私は料理が最も苦手
主婦としてあるまじき人間ですが、これだけは「絶対にアカン」ことでした。
父、タクさんの通い介護にあたっては、料理をなるべくしないで済むよう、スーパーやコンビニ弁当の利用。
そして最終的には近所にたまたまあった、高齢者向きレストランの高齢者向き宅配弁当を利用して乗り切りました。
通い介護で一人分だけの食事を作るのは私にとって面倒でしたし、費用がかかってもこの方が気楽でした。
その分、父を1日おきに自宅で入浴させたり、私にできることに当てました。

◆自分にとってやりやすい方法
父のためというよりも、自分や家族にとってより良い(都合の良い)介護法をとったことが、結果的には父のためになりました。
これは両父の場合に言えることです。
良くできた娘のように思われますが、自分にとってやりやすい方法を選んだに過ぎません。
たまたまそれが、両父のためにもなっただけです。

◆先々を考え長期計画を
父タクさんの10年にわたる通い介護で最初から先々のことを考えていたわけではありません。
しかし、80歳を超えた頃から、父や家族の先のことを具体的に考えるようになりました。
私の家庭には色々な問題がありましたので、父が元気なうちに(介護がもっと大変にならないうちに)少しずつ片付けていかなくてはならないと感じていました。
通いの在宅介護ではなかなか時間がなくてできなかったことでしたが、グループホーム入所や最終的に特養入所となって、私が介護から少し離れられる時間ができて、それらの問題を少しずつ解決することができました。
また、父タクさんがグループホームに入所した頃から、それまで何ともなかった義父イズさんの具合が悪くなりだしました。
タクさんが施設に入っていてくれたお陰で、イズさんの介護に関わることもできました。

◆介護がまだ楽なうちに
父タクさんの場合、認知症の進行は幸いゆっくりで、初期の頃は何年も同じような状態が続きました。
この頃、私の子供は小学生でしたので、夏休みなどは家族旅行などもしました。
この頃の父は物忘れは激しいものの、まだ大した事ない状態でしたので、父のことは父と同居の弟に任せて、私は父よりも家族と共に過ごすことを優先しました。
父の状態がもっと悪くなったら、そんなこともできなくなるし、何しろ子供はまだ小学生でしたし、これから先がある者のことを優先しました。
そして、結果的にはそうして良かったと思いました。
父タクさんが認知症初期の頃、タクさんと共に家族で一泊で出かけたこともありました。
お墓参りを兼ねた小旅行でしたが楽しく過ごせました。
タクさんが認知症になってから泊まりで出かけたのは、親戚の葬儀なども含め2~3回ぐらいしかありませんでした。
もっと連れて行ってあげれば良かったと思っています。
でも、無理をしない私なりの頑張らない介護では、この程度だったのかもしれません。

◆デイやショートの利用
施設の職員さんと毎日のデイやショートで顔を合わせることが、私にとって大変励みになりました。
私一人で父を介護しているのではないという気持ちになり、自分がデイやショートに通っているような気分でした。
これは息子が幼稚園に通っていた頃、幼稚園の送り迎えをしていた頃の気分と同じでした。
毎日園まで自転車で送り迎えをしていたため、息子が幼稚園を卒園するときは涙が出ました。
父がグループホーム入所となり、デイを終える日には同じような気分になりました。

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