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介護日記・二人の父の雑記帳

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第264回 命あるものとの関わり(2007年8月5日)

認知症になってからの父タクさんの印象を思い出してみます。

今から約10年位前の認知症初期には、一見普通の人と変わりなく、日常生活もそれまでとほとんど変わりないものでした。
妻が亡くなってから家事を一人でしなければならなかった立場上(それまで家事などしなかった父でした)、「何でも一人でやってきた」「一人でやらなければならない」と口癖のように父は言っていて、通い介護で私が来てもそう言っていました。
そして、私がいても、いつもせっせと片付けのようなことをしていました。
認知症になる前と同様に、好きな本の片付けや物の整理のようなことを日常的にしていました。
徘徊や失禁が始まり、デイに通うようになった認知症中期になっても、自宅での日常生活の基本は初期の頃とほとんど同じでした。

片付けや整理が好きでした。
ただ、片付け方が変でした。
片付けているというよりも、ある場所からある場所へ物を運び込んでいるという状態でした。
寝室の本棚は空っぽになってしまい、いつもいる食堂のテーブルが本の山になりました。
やっていることは同じつもりでも、上手く整理ができなくなったから、そういう形になったのでしょう。
でも、父の日常の基本は認知症になる以前と変わりなかったと思われます。

そして、認知症後期。
この頃は特養での生活です。
在宅の頃とは環境も変わり父の生活も変わりました。
特養の父の居室にテーブルと椅子や小さい本棚を置き、以前見ていた本を並べ、自宅に似た環境にしました。
が、自宅とは違いますし、すっかり興味を示さなくなりました。
時々、カーテンを引いたり、テーブルや椅子を運ぼうとしたりして、自宅で物を片付けることが好きだった父の面影を感じました。
しかし、物に興味を示すことは非常に少なくなってきました。
子供や動物が好きだった父は、認知症後期になっても、でかけると小さい子供や犬、猫などには関心を示しました。
物にこだわりを持っていた父でしたが、認知症が進むと最終的には物よりも、命あるものにしか興味を示さないように感じました。
文字を書くことが好きでしたが、すっかり書かなくなり(書けなくなった)、それよりも人と話しをすることに方向が変わりました。
特養でも入所者の方々と話すよりも、職員さんと話しをすることが多かったようです。
そして、体の状態が悪くなった亡くなる1年程前からは、弱々しくなり顔の印象も生き生きとした感じがなくなり、全ての物に興味がない感じがしました。
しかし、私が話しかけると延々と父の持論を語り(認知症が進んだなりの話し方)、好きだった歌については一緒に歌ったり、歌えなくても興味を示しました。

簡単にまとめると、父の場合は認知症初期、中期は認知症になる以前と生活ぶりの基本は変わりませんでした。
後期になると、健康状態が悪くなったことも重なって、全てのことに興味を失ったように見えるけれど、それまでの生活の一部を持ちこたえていること。
そして、認知症が進んで様々なことがわからなくなっても、命ある物(人との関わり)に関しては興味を示すこと。
そして、認知症後期でも「何が何だかわからないんだよ」と言っており、今の自分の状態がわかっていました。
当たり前のことですが、物よりも、人との関わりが最も大切だということ。
そして本人もそれを望んでいることをはっきり感じました。

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