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介護日記・二人の父の雑記帳

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第259回 歯科治療を拒否した父(2007年7月18日)

父タクさんが認知症になってから歯科に通うようになったきっかけは、父自身の訴えからでした。
まだ認知症初期で、私が通い介護を始めた数カ月後のことだったと思います。
認知症になってからの父の話によると、父は子供の頃から虫歯が多かったそうです。
(こういう話も、父が認知症にならなかったらしなかったかもしれません)
虫歯で苦労したため、定年退職後はどこで探したのか、多分、本などの情報からでしょう、電車に乗り時間をかけて都心にある歯科にわざわざ通っていました。
私の職場に近かったため、私もその歯科に一時期通っていました。
よく診てくださる歯科でした。

父は歯に関してはかなり気を遣い、電動歯ブラシが出た当時、いち早く使ったり、お口クチュクチュの口腔洗浄剤なども早くから使っていました。
歯の治療に熱心な父でしたが、認知症になる数年前ぐらいからは、歯が悪くても歯科通いはしていなかったようでした。
そして、認知症になってからは、あんなに歯の手入れに熱心だった父でも、歯の手入れを面倒がって、爪楊枝で食後突っつくのが主な手入れ法となってしまいました。
その代わり、爪楊枝は父にとって絶対欠かせない小道具でした。
言わなければ、自ら歯磨きをすることはありませんでした。
父をおだてて準備をしておけば、歯磨きも何とかしてくれましたが、それもいつも成功するわけではありませんでした。
こうして父の歯のケアは認知症の進行と共に行き届かなくなっていきました。

父が認知症になってから自ら通院を訴えたのは、歯科治療の件だけでした。
まだ認知症初期で物事がよくわかっていたから、自ら通う気になったのでしょう。
その後、大した病気はしていませんが、認知症が進行するにつれ、自分から通院を望むようなことはありませんでした。
通院に関しては、全て私の判断でした。
歯科に通って部分入歯を作り直しました。
私が指示したように、入歯を外して洗浄液の中に浸けておくことも当初何年かはちゃんとできました。
そのうち、せっかく作り直した入れ歯は、時々家の中で見当たらなくなり、流しの排水溝に入っていたこともありました。
何度も失くすことを繰り返すうちに、ついに見つからなくなって、再度部分入歯を作り直ししました。
しかし、その入歯もデイに通っていた頃、つまり認知症中期に再び家の中で失くしてしまいました。
無くても食べることに不自由しなかったので、もう作り直しはしませんでした。
この頃、父は歯科通院を拒否することが増えてきたからです。

今日は歯医者に予約しているから行こうと誘うと、「歯は何ともない!!」
などと色々文句を言って行きたがらなくなりました。
そのため、歯科に行くとは言わずに連れ出しました。
出掛けてしまえば、「歯医者はボロ儲けしている」などと文句は言いましたが、何とかなりました。
しかし、認知症中期の後半、治療中に「何をする!!」と、歯医者さんの手を振り払うことがあってからは、もう無理かもしれないと判断して、キリの良いところで通院を止めました。
歯の治療をしているという意識がなくなっていた父でした。
まだ虫歯が何本かと、歯槽膿漏でグラグラになっている歯が何本かあって、いずれこの歯は抜かなければならないと歯医者さんに言われました。
今思うと、「何をする!!」の一件程度で治療を止めずに、もう少し頑張って通えば良かったかもしれません。
その後、グループホームAに入居して、訪問歯科の診察を皆と一緒に拒否することなく受診していた父でしたから。
そして、在宅の頃、前歯の治療だけでもしておけば、亡くなる年に全ての歯の抜歯ということをしなくても済んだかもしれません。

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