介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第256回 散歩の思い出「車が怖い」(2007年7月10日)

父タクさんの認知症がもっと進み認知症中期の後半頃になると、散歩中に車が通るのを怖がりました。
特養に入る半年位前のことでした。
父と腕を組んで歩くのですが、車の往来をかなり不安に思っていました。
広い通りで歩道があっても、車が自分に向かって来るのではないかと心配していました。
狭い道で車が徐行して擦れ違うだけでも、「危ない!!」と声を出して、車と擦れ違うのをかなり嫌がっていました。
いちいち危ながっているので、以前のような楽しい散歩ではなくなりました。
車が来なければ父の機嫌も悪くはなかったのですが…。

信号のある横断歩道を渡る時も、かなり慎重になっているため歩みが遅く、渡りきらないうちに信号が変わってしまいました。
「青になったら渡りましょう」「今は信号が青だから渡っても大丈夫なのよ」と、わざわざ言っても、この時期、歩道のことも信号のこともわかっていませんでした。
そのため、散歩に必要以上に時間がかかり、散歩しながら車のせいで父が不機嫌になることも多く、またこの頃は以前より歩き方も遅くなり、散歩に出るのを私の方が躊躇したくなりました。
それでも、陽気が良い時期にはデイから帰ったその足で、夕方散歩に出ました。

この時期、毎日デイに通っていたので、デイ帰宅後の夕方しか散歩に出られませんでした。
認知症初期には、信号がある横断歩道の少し手前で、車が来ないと隙を見てすぐ渡ろうとする程、判断力があった父でした。
せっかちな父は信号や横断歩道をわかっていながら、早く渡ろうとするのでした。
この頃は、「横断歩道が近くにあるんだから、ちゃんと横断歩道で渡らないとダメよ!転んだりしたら大変。若い頃とは違うんだからね」と、父を諭したものでした。
認知症が進むと、車に対する身の危険を必要以上に感じていた父でした。

歩道や信号のこと、交通ルールのことがわからなくなったので、不安が一層募ったものと思われます。
それでもまだ、周囲のことに無関心になる認知症末期の状態よりはマシでした。
交通ルールを知っているからこそ、私達は身の安全をわかっていて生活できるということですね。

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