介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第249回 眼科通いの頃(2007年6月20日)

父タクさんと眼科通いをしていたのは、主に今から4年前の2003年頃でした。
よく結膜炎になったのです。
というのは、物が見えにくくなったので、よく目をこするので、すぐ目が真っ赤になってしまうのでした。
物が見えにくくなったのは、老人のほとんどどがなると言われる白内障のせいでした。
でも、年相応の白内障なので、定期的に眼科検診をすれば良いと眼科医に言われていました。
父には目をこすらないように言っても、すぐこすって目を赤くしました。
「よく見えないんだよ」と。

この頃、日常はメガネを掛けていましたが、昔作ったメガネだったので度が合わなくなっていたようです。
点眼、つまり目に何かをされるなんて、危なくて怖くて、父にとっては人のすることが信じられないので最も嫌いなことでした。
この頃、目薬とは何かはわかっていたようです。
でも、目薬をして結膜炎を治そうという気持ちは全然ありませんでした。
認知症になってしまうと、病気を積極的に治そうという気持ちは、ほとんど失せてしまうようです。
嫌なことを我慢して病気を治すことよりも、今、たった今を、気持ちよく生活することの方が大事に感じるようです。
結膜炎程度でしたから、1週間ぐらいするとなんとなく治るので大したことはありませんでしたが、父も嫌なら私も面倒でした。
この頃、デイに週5日通っていた頃で、デイに点眼薬を持たせましたが、父は点眼が大嫌いで、成功することが少なかったようでした。
私がする点眼も結構嫌がりました。

前もって目薬をすることを言うと、構えて用心し拒絶するので、「ちょっと上向いてね~」と言ったすきにササッと点眼してしまうのがコツでしたが、なかなか上手くいきませんでした。
点眼だけでなく、多くの事柄について、父が嫌なことは前もって予告せず突然行う。
父が嫌なことは、ササッとあっさりとやり過ごす。
これが父にとって、気持ちよく生活してもらうコツでした。
眼科の看護士さんは、このササッと点眼するのがとても上手でした。
この眼科は駅前のビルのワンフロアで、待合室が大変広く、「ここは広くていいな~」と、父お気に入りの眼科でした。
ここで父が必ず寄るトイレも広くて助かりました。
しかしこの男子用トイレ、広くて良いのですが、父にとっては使い方がわからず困りました。
この頃、認知症中期の後期。
父は立ったまま使う男子用トイレを理解できなくなっていました。
形にもよるのかもしれませんが、「ここでしていいのよ~」とそばで使い方を説明しても意味不明に思えていたようでした。
便器で手を洗おうとしたりします。
最後には、使い方が理解できず怒ってしまうこともありました。
日常的に使う、通常の洋式トイレに慣れていたせいでしょう。

しかし、この洋式トイレですら、使い方がわからないことがよくありました。
そんなことをしている間に、男性が入ってきてトイレを使用していきました。
私が女性だったから、男子用トイレに父といても、何とか許されていたのでしょう。
これが逆だと、どうなのでしょうね??
デイに週5日通っていたので、眼科通院はデイのない唯一の日の月曜に通いました。
眼科だけでなく、内科など、通院関係は父のスケジュールの合間をぬって行いました。
雨の日だったりすると悲惨です。
かなり大きめの傘に父と相合傘をして移動しました。
ゆっくり目の歩き方でしたが、それでも歩いてくれる父だったので助かりました。
眼科の思い出はまだありますが、次回に。

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