介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第245回 とうとう特養入所(2007年5月31日)

2004年3月9日の夜に特養からの電話で、入所の知らせは突然訪れました。
知らせを聞いた時、嬉しいような悲しいような気持ちでした。
グループホームBで父はまだ2カ月しか生活しておらず、これからという時。
特養入所はまだ先のことだと思っていました。
申し込んで約2年。父の場合は予想以上に早かったと思います。

父がいたユニット型の特養は定員70名。
うちショートステイ枠が20名。
よって、居住者は50名。うち地元市民は30名位。
地元市以外の行政枠が20名位。
父は特養がある市の隣接市の居住者で、その市の指定人数枠が確か10名。
その10名に約60名近くの待機者がいると聞きました。
地元市の居住者は人数枠が30名と多いので、待機者は更に多く、全体では何百人にもなっているようです。
順番待ちには、申し込み順もさることながら、要介護度、要介護状態や生活実態による順番の繰上げなど諸々があって、更に特養でお亡くなりになった方、または長期入院になった方などがおられないと順番がきません。
山坂乗り越えて順番がやってきました。

知らせがあってから10日後の2004年3月19日、父はグループホームBから荷物を持って、タクシーで直接特養に入所しました。
よくやってくださったグループホームBに別れを告げるのも寂しかったです。
早春で、お天気が良い暖かい日でした。
デイ、ショートステイ、などで何年もお世話になった施設でしたから、「ただいま!!」という感じでした。
デイを辞めてグループホームに入る時も、施設の職員さん方に「また戻ってきますからね~!!」と挨拶をしたのです。
そして、本当にわずか2カ月で戻ってきました。
「お帰りなさい!!」と職員さんがお迎えしてくださいました。
特養入所と言っても、私としては馴染みのある場での安心感ある施設入所でした。
父は何が何だかわからない人でしたから、「前に行った事がある所へ行くよ~」と話し、抵抗なく一緒にグループホームから特養にきました。
「ここは前にも来たような気がするな~♪」と父。
どこへ行ってもそう語る父でした。
デイに通っていた頃、自宅に戻ってきた時も同じ事を言っていました。
認知症発症11年、通い介護10年、83歳のことでした。
こうして、父は亡くなるまでこの特養で暮らすことになったのです。
でも、それは待機期間とほぼ同じ2年半程度でした。

<注>
父のように特養に入る直前にグループホームに入所していても、グループホームの場合は「在宅」扱いになります。また、特養以外の施設、たとえば老健などに入所していても、特養に入る順番はそれなりに考慮されますので、在宅でなく他の施設にいるから特養に入れないということはありません。

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