介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第242回 父の叫び(2007年5月20日)

父がいたグループホームのことを書いているところですが、少し違う話題を…。
昨年10月末に父タクさんは亡くなりましたが、亡くなる年、父が衰えて行く中で叫んでいた忘れられない言葉があります。
2006年夏の初め頃、多分6月頃のことです。

夕食介助に1日おきに父の特養に通っていました。
この頃の父は飲み込みが悪く、食べ物がいつまでも口の中に残り、もぐもぐしてもなかなか飲み込めないでいました。
飲み込みたくてもできなかったようで、食事に大変時間がかかりました。
全部食べ終えるのに、2時間近くかかることも多かった頃です。
この頃、食事はとろみつきのきざみ食になっていました。
歯の状態も大変悪かった頃でした。
自分でスプーンですくって食べることも何とかできましたが、上手くすくえず、また、口に上手く運べずこぼしてしまうことが多く、私がすくって口に運ばないと食事が進みませんでした。
人に食べさせてもらうことを嫌う父でした。
体重は益々減り続けて30キロ台でした。
体力がなくなり、以前のように歩き回ることが少なくなっていました。

「ゴックンしてね。ゴックンできないの?」
「うん」とうなずく父。
すると父は小さい声でしたが、父としては声を振り絞って大きな声で叫んだつもりだったのでしょう。
「○○(自分の名前)という人間はな~!今はこんなんだけれど、本当は凄いやつだったんだぞーー!!」
周りの皆に訴えるように、周囲を見渡しながら言いました。
いつもより大きな声でしたが、それでも小さい声だったので、残念ながら、誰も気づきませんでした。
食べることが上手くできなくなって、飲み込むことすら上手くできない。
認知症末期で、思うように自分を表現できなくなった父でしたが、父は叫んでいました。
父の悔しさがひしひしとわかり、涙が出そうになりました。

この頃の父は意思疎通がある話しではあまりなかったけれど、私が話しかけると色々取り止めのない話を延々とすることができました。
それらの会話の一部は過去にも書きました。
でも、この父の叫びについては、まだ書いていなかったと思います。
残しておきたい父の言葉です。
認知症発症13年、特養に入居して約2年、要介護4、85歳のことでした。
何かあったら父はもたないと感じて、私は頻繁に父の特養に通っていた頃で、誤嚥性肺炎を起こす以前のことでした。

その後、父がこんなふうに叫ぶのを見ることはありませんでした。

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