介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第240回 グループホームBの入居が決まった頃(2007年5月14日)

2003年12月下旬、タクさんのグループホームBへの入居が決まりました。
この年の5月に最初のグループホームAに1カ月半入居したものの、施設が合わずに退所後、週7日のデイと月2回のショート、早朝ヘルパーを週5日利用しつつ在宅生活を続けること約半年。
認知症発症約11年(通い介護約10年)。要介護4。タクさん82歳の頃です。

グループホームBを見学し申し込んでから約1年経っていました。
この年はグループホームBの入居を2度先送りしていたので、今度順番が来た時は、もう引き伸ばせないので入ろうと思っていました。
順番が近づいたら連絡して欲しいことをグループホームに伝えていましたが、私の方から月1回位電話で様子伺いをしていました。
12月に様子伺いをすると、年明けの1月上旬に空きが出ることがわかり、入居できることを早く知ることができました。
入居することが決まるとグループホームの施設長さんが父の普段の様子を知りたいとのことで、私と一緒に父のデイをさりげなく父に気付かれないように参観しました。
当時父は要介護4で、このグループホームでは今まで(当時開設1年)要介護4の方はいらっしゃらなかったようで、介護度が重い父のことを心配されていたようでした。
しかし、デイでの父の穏やかな様子を見て要介護4の一般的な印象とは異なり、施設長さんは少しホッとされたようでした。
父のために、前もって日常の様子観察をしてくださるグループホームの姿勢に明るい前途を見ました。

父は介護認定を初めて受けたときから要介護4で、亡くなるまで要介護4のままでした。
同じ要介護4でも、最初と最後では父の状態もずいぶん違います。
この頃は体は自由に動くし、会話もそれなりにできる頃で、一見しただけでは何をするにも手がかかる人には見えませんでしたが、認知力は相当衰えていました。
父のすぐ後ろから参観していたのですが、私が見ていることに父は全く気付きませんでした。
もっとも、自宅で一緒に話しをしていても「あんたはお子さんいるのかね?」とか、「お世話になります」
などと、毎日一緒にいる私が誰だか全然わかっていませんでしたし、ショートのお迎えに行っても私が娘だと全然わからない父でしたから当然です。
父の場合は会話や日常的な行為はある程度できても、早い段階から人の顔や場所の識別はつきませんでした。
グループホームBを初めて訪れた見学の時、入居者の女性が私にお茶を出してくださったことが大変印象的でした。
その方は明るい表情で家事もされていらっしゃいました。
とても認知症には見えない程で、また丁度その時、その方の娘さんが実家を訪れるような何気ない雰囲気で面会にいらっしゃっていました。
当時何カ所も見学をしましたが、グループホームBは伸び伸びした施設面だけでなく、こういう家庭的な雰囲気はいいな~と、私はいっぺんで気に入ったのです。
私が気に入っただけでなく、父に判断能力がもしあれば、きっと合格だと言ってくれたでしょう。

グループホームBの入居日を決め、入居前夜、最後の自宅での入浴の時、「これで自宅で私が入浴させることも最後になるな…」と感慨深かったです。
父の入浴は特にてこずるので、デイでは全く利用せず、全て自宅で入浴させていたので、入浴が上手く行って父の機嫌が良いと私も本当に嬉しかったものでした。
当然、父には明日、グループホームに移ることなど伝えてはいません。
何も知らずに父は機嫌よく入浴してくれました。
グループホームBは第一希望の特養入居までいる予定でした。
特養入居の時には、グループホームBから直行するつもりでいましたから、父はもう家へ戻ることがない前提です。
実際、特養入居の時にはそうなりました。
寂しい気持ちはありましたが、今まで何度も利用していたショートステイが長引いたと考えれば良いではないかとも考えました。
この時期すでに、特養入居の順番が近づいていることをケアマネさんから聞いていました。
近づいたと言っても、それが半年先になるか、1年先かはわかりません。
通常、入居者がお亡くなりにならないと特養の順番は巡って来ないからです。

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