介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第234回 父の反抗の意味(2007年4月27日)

早朝ヘルパーさん利用でも、朝起きられなくなったタクさん。
この頃、タクさんは朝早く起きられなくなったことだけでなく、デイに行ったのは良いけれど、なかなか帰らない状態がよくありました。
また、デイの送迎車に乗って帰ってきて、外で私が出迎えているのにも関わらず、車から降りない状態も続きました。
そんな時はデイの車に私も乗り込み、父の気分を変えるような話をしながら、その辺を一回りしてもらうと、父も私と一緒に降りてくれました。
まだ、車には他の利用者さんも乗っているのですが、特に反感を買うようなことはありませんでしたし、運転手さんも快く一回りを引き受けてくださいました。

この頃の父は身体的には丈夫で、特に不自由はありませんでした。
しかし、認知症が進み、父の場合は自分で納得できないことは、スムーズに人の言うことが聞けなかったからです。
なぜ、デイから自宅に帰るのかわからない。
なぜ、良い気分で乗っているデイの送迎車から、今降りなくてはならないのかわからない。
デイの職員さんに「外で娘さんが待ってますよ」と言われようが、私が「お父さん、お迎えに来たよ」と言っても、娘なんかいたか??
自分でもわからないのだから、人の言うことなんか信じられん!
このままで良いじゃないか!!
何で、誰だかわからない人が言うことを、真面目に聞かなくてはならないんだ!!
父の心の中は多分こういうことだったと思います。
事実、言葉に出してそう言っていたこともありました。
朝、目が覚めてヘルパーさんが「起きましょう!」と言っても、「何で今起きなきゃならないんだ!!このままでいいじゃないか!!」
だから目が覚めても、ヘルパーさんと話しをするだけで起きなかったのだと思います。

ヘルパーさんでなくても、私でも同じことだったと思います。
なぜそうしなくてはならないのか意味がわからないのに、人に指図はされたくない。
勝手に好きなようにさせて欲しい。
だから、反抗するような行動になっていたのだと思います。
父の生活の中心となるデイに関して、このようなことが頻繁に続くと、時間に拘束されるデイに行ったり来たりの生活は父にはもう限界なのだろうか?
施設に入って行ったり来たりの制約のない生活の方が良いのだろうか?
この頃、そんな風に思うこともありました。
しかし、認知症の父の反抗期は、ちょっとした気分転換で180度変わることもありました。
無理強いをすると、ますますかたくなになるので、ダメな時はしばらくほっとくこと。
少し時間を空けて別の話題を提供してあげる工夫などで、何とか気分が変わってくれました。
しかし、時間がない時は、私もかなりあせりました。

先日、私が勤める特養で、この頃の父の話をデイの職員嘘も方便さんとたまたま昼食を共にした時、懐かしく話しました。
デイのチーフ職員さんですが、認知症でも特に頑固な面があった父のことは、とても接し方の勉強になったとおっしゃっていました。
「タクさんの場合はえすえさんがおっしゃったように、ですね〜」と。
反抗期のような父でしたが、まだ体が元気だったこの頃は、今となっては懐かしいです。
苦労も多かったけれど、父亡き今は良い時期だったと思いました。

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