介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第233回 早朝ヘルパー利用でも起きられない父(2007年4月25日)

早朝ヘルパーさんを利用しても、父がまるっきり起きられない日がその後だんだん増えました。
携帯で連絡を受けたそんな時は、私は大急ぎで父の家に向かい、デイの送迎車に間に合わせるため、父の支度をしました。
たいてい父はすでに起きていて、濡れたパジャマで部屋をうろうろしていました。
父がなかなか起きられず、ヘルパーさんがまだおられる時間に数回私が行ったこともありました。
父が起きられず大急ぎで駆けつけた時は、心はあせっても笑顔笑顔で。
父を不安にさせないよう「これから出掛けるから服を着替えようね~」と優しく言いながらも、着くやいなや真っ先に着替えさせました。
髭剃りはいつも前日の夕方に済ませていました。
朝食は前日にサンドイッチや菓子パン、いなり寿司や細巻き寿司、小さいおにぎりなど食べやすい物を用意していて、着替えながら頬張ってもらったこともありました。

今、思い出しても凄い状況でした。
徘徊探知機をお守りだと言ってポケットに入れて、いつもの飲み薬を飲ませ、前日に用意しておいたデイの持ち物を持って、さあデイに出発!!
何が何だか?の父でしたが、私のおだてに機嫌よく乗って、出かける支度をさせてくれました。
ただ、そんな時に限って、父は家を出る直前に時間が掛かる排便をしたいと言い出すことがよくありました。
そんな時は「今トイレ中で時間が掛かりそうです」とデイの送迎車に電話連絡をします。
たいてい排便はなく、時間だけが経つことが多いのですが…。
そのため、いつもの時間の送迎車には間に合わず、後の便の送迎車を用意してもらったこともしばししばでした。
マイカーがあれば送迎車の時間に無理に間に合わすこともなく、多少の遅れは関係なくデイに父を送ることができましたが、父の認知症発症後、
車は処分(古かったし)してしまったし、私はペーパードライバーだったため、送迎車に頼らざるを得ませんでした。

このような早朝ヘルパーさんの利用は、父が2度目のグループホーム入所になるまで約5カ月間続きました。
最初は夏でしたが寒い冬に向かい、父はますます朝なかなか起きられなくなっていました。
しかも、デイから帰るのも拒むようになり、すんなり帰らず特別の父専用の送迎車で帰ってくることもしばしば。
父に合っているデイでしたが、行ったり来たり時間に合わせて通うのも限界かな?と思うこともありました。
そんな頃、5カ月間の早朝ヘルパーさんとも終わりを告げる2度目のグループホーム入所となるのです。
早朝ヘルパーは割り増し時間帯でしたが、父の場合は市から訪問ヘルパー利用費用の一部負担も受けていて
(父の市だけかもしれませんが所得に応じて可能)、後からその費用の一部が戻る支援も受けていました。
これは日曜だけ通っていたNPOのデイのスタッフが教えて下さって(父と同じ市の方だったので)、私自身が市役所で手続きを取り、過去に遡って請求しました。
ケアマネさんは父とは別の市の方だったせいか、この件は詳しくなかったようでした。

早朝ヘルパーの費用は1日1時間、週5日利用で、月々4,000~5,000円程度だったと記憶しています。
このヘルパー事業所は私や父が住む市や、その周辺に事業所の支部を多く抱えている結構古くからの事業所で、某病院系列でした。

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