介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第232回 早朝ヘルパーを利用してから(2007年4月23日)

2003年7月下旬、要介護4、体は元気で不自由はなかった認知症中期と言っても後期に限りなく近いタクさん、82歳。
デイに通うのに朝なかなか起きられなくなったタクさんを起こしてもらうために、朝6時半から7時半、早朝ヘルパーさんを利用することになりました。
(前に6時から7時と書きましたが時間変更になりました)
以前にも書いたように、父と同居ならこのような利用の仕方は普通はないと思います。
通い介護だったために、私が朝早く父を起こしに行かなくて済むように、また、父と同居の弟が父を起こして世話をすることなく出勤できるように配慮したヘルパー利用でした。

デイに通うようになってから、昼夜逆転もなく、夜8時頃にはベッドに入り、ほとんど朝まで熟睡する父。
紙オムツから毎晩のように漏れがあってパジャマや使い捨てシーツ(紙オムツの素材で部分的に敷くシーツ)まで濡れるのですが、それでもよく眠っていました。
びしょ濡れになっても風邪を引くようなことはなかったので、父のために起こさないことを原則にしていました。
あとは、目が覚めたらいるヘルパーさんに、父がどんな反応を示すか?でした。
私がいない時間の早朝ヘルパーさん利用で、初日は私もドキドキでしたが、父は初めてのヘルパーさんに拒否反応を示すことはなくスムーズでした。
二日目の別のヘルパーさんの時も大丈夫でした。

やはり思っていた通り、ショートやグループホームで他人に起こしてもらうことに慣れていたせいでしょう。
この頃、父は鏡を見ても自分の顔がわからず、私や他人の区別も顔だけではわからないようでした。
接する様子で身近な私か、違う人かがなんとなくわかるようでした。
他人に起こしてもらうことに平気だったのは、人の区別がつかないこともあったと思います。
早朝ヘルパーさんに依頼したことは以下の3つだけでした。
1.朝6時半から7時半、デイに行くため父を起こすこと。
2.父の着替え。
3.私が前日に用意した朝食を父が食べる見守り。
何かあったらすぐ携帯に電話してくださいと伝えてあるので、私は家で朝のゴミ出しに出る時にも携帯を欠かさず持って出ました。
その後、父がなかなか起きられず、時々携帯にヘルパーさんから電話が来ることがありました。
ベッドで目を覚ましてヘルパーさんと会話をしているのですが、父の話が一方的に延々と続き、起き上がらないのです。
そんな時のコツをヘルパーさんに伝授しましたが、家族ではないので微妙な部分があり、父が会話を楽しんでも起きるまでに至らなかったようです。

父は認知症中期の後期でも、きっかけさえあれば色々とよく話しをする人でした。
それは、話し相手が私でなく他の人に対しても同じでした。
父の話は思考回路が絡まっているのですが、話し出すと同じような話しを続けて、「○○だから○○なんですよね~」と、穏やかにいつまでも話す人でした。
こちらから話題を変えたり「ちょっと待ってね!」と言わないと、いつまでもどうどう巡りの父の話は続きました。
人から話しかけられる内容の理解はできない時もありましたが、それに関係なく父は勝手に色々話しました。
自分から発する言葉について、この頃の父に不自由さはあまりありませんでした。
父が起きない間、悪いと思ったヘルパーさんは、依頼していない部屋やトイレの掃除をしてくださっていました。
お陰で父の部屋のそばの玄関周りなどは、ピカピカになりました。
また、父がスムーズに起きて時間が空いた時には、父が朝食をとっている間、依頼していない父の洗濯と洗濯物を外に干すこともしてくださいました。
お二人共、よくやってくださるヘルパーさんでした。

ヘルパーさんで起きなかった日は、父はヘルパーさんが帰ったあと、一人で起きていたようでした。
ほっときゃ本人が気が向いた時に起きるものです。
でも、デイの時間が決まっていましたから、いつもそれだと困ってしまいます。
ヘルパーさんは毎回の業務記録書とは別に私が用意した記録ノートにも、毎回父の様子を私宛に書いてくださったので、私も毎回それに返信していました。
お忙しい時間なので、変わったことがあった時だけで良いと用意した記録ノートでしたが、丁寧にほとんど毎回書いてくださいました。

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