介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第211回 イズさんの寿命と定年の関係(2007年3月15日)

イズさんの在宅時代から、施設生活のこの何年かで私が関わりわかったこと。
今日はそのまとめです。

<イズさんの心の中を解読する>
今更、嫁に「これがいい、あれがいい」と言われたって、そんなこと、自分がいいと思わなくちゃしたくないよ。
ベッドに転がってるのはラクだな~。
眠くなったらそのまま寝て、ベッドから手を伸ばせる範囲に物を置く。
お酒があって、ホームであまり出ない寿司と蕎麦が時々食べられれば極楽だ。
テレビで世間のことは大体わかるし、困ることはあまりない。
余計なことをすると体を悪くするかもしれないから、無理したくない。
足腰が衰えたって構わない。歩くのが面倒なんだもの。
今更頭を使うのは面倒。散々使ってきたからね。
頭使わなくなって、ボケたらボケたで構わない。面倒なことはしたくないんだ!
お金を使うことは勿体無い。財産が残せなくなるからね。
生き甲斐や趣味なんて、今更いらないよ。
寿命までのあと3年、そっとしておいてくれないかな~。
余計なことをしなければ、ちゃんとあと3年、無事に生きられるはずなんだから。

以前にも書きましたが、イズさんは自分の寿命をあと3年と言っていました。
あと3年経つと88歳。
そのくらいの年齢になると皆、ボケてくるから(イズさんの持論)、それまで生きられれば良いと言っていました。
イズさんが言う「寿命はあと3年」とは、「定年まであと3年」と同じなのでしょう。
定年まで無事何事もなく過ごしたい。
定年前に一旗揚げたいなんて余計なことを考えると、無事定年が迎えられなくなるかもしない。
イズさんは自分で決めた3年後まで、今まで蓄えたお金と年金で暮らせる範囲で、健康で無事にラクして、好きなように過ごせたら良いと思っているようです。
そういう暮らしをするに当たって、「夢」や「努力」とか「生き甲斐」なんて言葉はいらないようです。
もう過去にある程度やってきたことだから、無事に過ごすためにはこれ以上は望まない。
以前やっていたギターを何で辞めたのかたずねたら、「もう年だから辞めた」と。
その心境は上記のように、年だから、無理な努力はしたくないのでしょう。
私がイズさんの生き甲斐や価値在る毎日を考えること自体、余計な心配のようです。
押し付けでしょう。
私から見たら、夢も希望も生き甲斐もない生活に見えるけれど、イズさんは自分でこれでいいのだ!と思ってやっていることなんだから。

何もしないでボケて、認知症になったらなったでしょうがない。
カラオケは、楽しみにしているようなので一緒に続けますが…。
イズさんには、なるべく放任主義で行こう。
お仕着せや指示することは、最もイズさんが嫌がることだし。
そんな思いをして長生きしたくないでしょうから。
私はイズさんの、話の聞き役とカラオケ相手。
今後もホームでの愚痴話を色々聞かされるでしょうけど、聞き役になってあげれば良いのです。
時々イズさんのホーム生活の援助をして、時々良い話を持っていく。
時々食事を一緒にして、たまにどこかへ一緒に行って。それでいいのだ!!
それよりも、私はまだ先の長い自分の人生のことを実現して行こう♪
今、イズさんが要支援程度の元気なうちに。
いつ、要介護状態になるとも限らないから、今のうち、今のうちに~♪

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