介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第201回 タクさんとの介護生活を振り返って(2007年3月2日)

タクさんが亡くなって早4ヶ月が過ぎました。
未だに夢にも出てきてはくれませんが、まぁ、いいでしょう(笑)
認知症のタクさんとの介護生活。
在宅の通い介護で10年。
特養に入居して2年半。
振り返ってみると楽しかったな~。
それに、あまり大変だったという気がしません。
同居でなく、通いだったし、認知症が進んでからは、デイやショートや、最後は施設にお世話になったし。
一緒にいる時間が限られていたからかな?

大変だと思ったのは、父のことより私自身のことが多かった。
雨や台風の悪天候でも自転車で父の所へ通うのが嫌だな~と思ったり。
だから、認知症初期の頃は悪天候の時は無理して行かなかったし。
ショートの日まであと何日、なんて思いながら父の面倒を看ていたし。
父の場合、在宅時代で一番大変だと思った事は入浴。
最終的には週7日、毎日のデイ利用になりましたが、入浴だけは自宅で私が一日置きに入れました。
大変というのは、前にも書きましたが、浴室に入ってからのこと。
お湯が熱いの冷たいのと文句を言うので、湯温の調整が上手くできない風呂だったので、父に合わせるのが大変だっことなど。
排泄についても、突拍子もない出来事はあまりなかったし。
徘徊も数えられる程度で済んだし。
暴言・暴力と言えるものもなかったし。
妄想もほとんどなかったし。
物盗られ妄想。
貯金通帳を私が盗った。財産を狙っている。
私に電話でたびたび言ってきたあの頃。
当時は、これが認知症の症状だと知らなかったので物凄く怖かった。
今から13年位前のこと。
それも一時的で済んだし。
デイもショートも嫌がらず、おだてに乗って、その気になって行ってくれたし。
行ったことで悪い影響もなかったし。
医者や病院も嫌がらず一緒に行ったし。
行ってから、色々あっても、全く記憶がないので、後に影響が残ることはなかったし。
でも、病院で「このベッドに横になって」と私が言っても、横になることがどうしたらいいのかわからず超不機嫌になることが多かったけれど。
不機嫌になっても、診察室を出ると、記憶がないからすぐご機嫌になっているし。
認知症の進行はゆっくりだったし。

その代わり、亡くなる最後の1年は、あれよあれよと、全てが低下していったけれど。
タクさんも認知症になってからの方が、楽しいことが増えましたね?
残念ながら、何も覚えていないのでしょうけれど。
若い女性に囲まれて、チヤホヤされて、楽しいお話が色々できましたね?(笑)
認知症になったお陰で、離れて暮らしていた娘が、毎日通ってくるようになったしね。
娘と一緒のお出掛けが増えたしね。
でも、認知症になったことは、タクさんの生涯設計に全くなかったことで、どんなにか不安で悔しいことだったでしょう。
こうして、過ぎてみると、私はラクな介護法ばかり選んできました。
私は介護で落ち込むこともなかったし、悩んだこともなかった気がします。
困ったな~と思った時は、次の手段を講じ、それがほとんどうまくいきました。
タクさんは手がかからない方だったみたいです。
私以外の人には拒否が強かったみたいでしたが…。
だったら、私が誰なのか、覚えていてくれても良さそうなのに、名前もとっくに忘れちゃうし(笑)

楽しかったよ。
タクさんとの介護生活。
でも、いつまで続く??参ったな~とも思ったし(笑)
やっぱり、もっともっと、続けたかったな~。
そのうち、夢にでも出てきて、感想を聞かせてくださいな♪
そして、認知症になって本当はどう思っていたのか?も聞かせて欲しい。

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