介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第196回 長女の立場【戦前の家族制度の影響】(2007年2月23日)

私ぐらいの年齢になると、冠婚葬祭の中でも年々黒白関係の行事が増えています。
紅白(特に結婚)の行事から遠ざかって久しく、当分ないでしょう。
黒白関係や介護、看病などのことになると、夫の実家や私の実家の場合は長男(跡取り)、本家などの戦前の家族制度に基いた行動を求められます。
今日はこれについて書いてみます。

私の実家の場合、実家はいわゆる本家に当たり、私の弟が長男で跡継ぎに当たるのですが、様々な都合でそれができないため、嫁に行った私がその役割を果たしています。
私も当初、そのことについて悩みました。
親から期待されていたのは私ではなく長男であり、その恩恵と思われることを永きに渡って受けていました。
私は嫁いでいく人間であり、男尊女卑の考えから、長女であっても、子供の頃から長男とはかなり差別されてきました。
父を介護することにあたり、このことは大きく私の気持ちにのしかかりました。
母親を介護する場合だったら、こんな気持ちになることはなかったでしょう。
何も恩恵を受けておらず、差別されてきた私が、父を優しく看ることについて当初かなり葛藤がありました。
しかし、永い間の介護生活でそんなことは言っていられなくなりました。
父は認知症初期の頃にも、「お前は大丈夫だ!お前が男だったら良かったな。
弟の方が心配だ」と、言っていました。
しっかりしているから、私のことは心配せず、そうじゃない方を心配する。
嬉しいような、哀しいことでした。
私の名前は毎日会っているのに早い時期に忘れてしまいましたが、弟の名前はかなり後まで覚えていました。

でも、私は介護も、冠婚葬祭に関するようなことも、できる人間がするしかないと思い、そうやってきました。
特に介護については、主導権は私でしたが、長男である弟と共に携わってきました。
幸い、世間で時々聞く、うるさいことを言う親戚などはいませんでした。
嫁に行った立場なのに…と批判する人はおらず、親戚の方々は比較的無関心です。
ただ、事実上は嫁いだ私がしていても、立てるべき時は長男を立てました。
悩みつつも、そうやって今に至っています。
父が存命中から長男としてのプレッシャーに潰れた弟と違い、私は父を介護したことで父の生涯の重みを理解したため、その重みを引き継いで行きたいという、はっきりした意志を持って今後も歩んで行くつもりです。
重みに潰れることはなく、重みを快く感じています。
こんな私の気持ちを亡くなった父にわかってもらえることができたら、私は何より嬉しいかもしれません。
私は父の介護や冠婚葬祭を通して、戦前の家族制度が今でも事実上生きていることを肌で感じてきました。
戦前を知っている私達の親世代がいる限り、嫌でもこれは生きています。
時と場合によっては、不合理でもあり、逆に合理的な場合もあります。
ないはずなのに、今も生きている制度(現在は制度ではないが)を否定せずに、上手に付き合っていくしかないな~と私は思っています。

しかし、私のように考えられないで葛藤している人間もいます。
次回はそのお話をします。

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