介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第175回 認知症中期のタクさん(本格的な徘徊)(2007年1月22日)

タクさんの徘徊シリーズの続きです。

1度目の徘徊はデイサービス中に、2度目では見つかった時は夜でした。
そして3度目は、2度目から6日後の2002年3月22日(金)。
10日余りの間に3回も続きました。
陽気が良くなる春は徘徊の季節のようです。
今回の徘徊は「置手紙」があって本格的でした。
この日は父はデイがない日でした。
私が家の用を済ませて夕方4時半頃、父のマンションに行くと、テーブルの上のメモ用紙に父のたどたどしい文字で置手紙が…。
「田舎へ長男(父と同居の私の弟)と一緒に約二日間行く」という内容でした。
家を出た時間が書いてありましたが、時刻は未来の時間になっていて間違っていました。
文章もちょっと変で、文字もかなり間違っていました。

ガ~ン!!ショックでした。もっと早く来れば良かったと…。
でも、置手紙には感動してしまいました。
今でも記念に取ってあります。
父は常々田舎のことが気になっていました。
私が心配しなくても良いと言っていたのですが、自分で見に行かないと何かと心配だったのでしょう。
田舎には親戚はいますが、かつて父が家族と住んでいた家はもうありません。
お墓参りのことや、父にとって何かと気になることがありました。
弟に連絡して、自転車で周辺を探し回りました。
家にはいつ父が帰ってきても良いように、鍵はかけずに探しに出ました。
近くの交番とデイにも知らせました。
交番は探してはくれません。連絡があったら対応する形でした。
探しているうちに雨が降り出しました。
こんな雨の中、父はどこでどうしているのか心配でたまりませんでした。
似ている後姿を見ると「父だ!!」と思ってしまいました。
結局暗くなっても見つかりませんでした。
弟が早めに帰ってきて自転車で探しましたが、やはり見つかりません。
一旦私は家に帰りました。

その後、夜7時過ぎ頃、警察から連絡がありました。
父のマンションから徒歩の最短距離で30分位離れたマンションに保護されていました。
迎えに行くと、
父は穏やかな表情でそのマンションの管理人の方とロビーのソファに座って話しをしていました。
私が「お迎えに来たよ!」と声をかけるとキョトンとした表情で「どうしたんだ??」と。
父がそのマンションに来た時の様子を管理人の方に伺いました。
その時の父は、私達が何を話しているのか分からない様子でボーッとしていました。
このマンションもオートロックだったのですが、誰かと一緒に中へ入ってしまったようです。
そして、各部屋のドアを叩いたり、ブザーを押して歩いたり…。
住民の方が訴えてきて、管理人の方が親切に対応して下さったようです。
父は名前は名乗ったそうですが、連絡先が分からない。
父は古い年賀状を持っていました。
その住所は父がマンションに越して来る前の住所で、自宅に連絡できなかったので警察に連絡してくださったとのこと。
かなり長い時間、このマンションで保護され、楽しくおしゃべりしていたようでした。
何より、管理人の方がとても良い方だったので助かりました。

父の姿を見ると、靴ではなく、玄関にいつも置いているサンダル履き。
3月の夕方は寒いのに上着になるようなものは着ていませんでした。
ズボンの裾が土と草で汚れていて、草むらを掻き分け前進して行った力強さが想像されました。
古い年賀状は、父が引き出しの奥から引っ張り出して、いつもテーブルの上に置いて眺めていたものです。
マンションに入ったら、自分のマンションと勘違いして、ブザーを鳴らしたのかもしれません。
父にとって初めて来た場所でしたし、私も初めてでした。
幸い、父は雨には当たらなかったようでした。
元気に仲良くタクシーで一緒に家に戻りました。
帰宅後も、父は普段と変りなく元気でした。
父が不安な気持ちで歩き回っていたのか?
どんな気持ちで歩いていたのか??
結構離れているのにどんな道順で歩いたのか、全くわかりません。
周辺には大きな交差点や車がかなり通る危ない道もあります。
全く謎に包まれた行動でした。
これらの徘徊の対応策として…。
デイを増やし人の目がいつもあるようにして徘徊を防止すること。
デイでも徘徊してしまったことから、ケアマネさんの提案で介護保険の徘徊探知機のレンタル。
父には気の毒ですが、父が中から開けられない鍵を玄関に取り付けること…などを行いました。
しかし、後にこの徘徊探知機で、考えられないハプニングが起きました。
幼い子供や認知症の人は、普通の感覚では考えられないことをするものです

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