介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第171回 認知症中期のタクさん(初めての徘徊)(2007年1月16日)

父は認知症初期の頃、集合玄関のポストに新聞や郵便物を取りに行く習慣がありました。
その頃は間違えずにきちんと持って来られました。
そのうち、ポストから持ってきた郵便物を自宅で失くしてしまうことが続きました。
新聞や郵便は取りに行かなくても良いと父に言って、父もそれをしなくなっていました。
今思うと、父の仕事を奪ってしまい可哀想なことをしました。

父の徘徊は2002年に入ってから、徘徊しそうな行動から始まりました。
認知症になって9年経っていました。
父は一人では行かなくなった自宅マンションの集合玄関へ、一人で出て行くことが増えました。
集合玄関と父の自宅とは2階の同じフロアでした。
そのたびに集合玄関にいる管理人さんに声を掛けられ未遂に終わりました。
オートロックなので、鍵なしで出たら入れなくなる心配があります。
管理人さんに、父が出そうになったら止めるようにお願いしてありました。
通い介護の私が父の家に行く時間前に、そういった行動を取っていました。
父の記念すべき?最初の徘徊は、記録によると何と!デイサービス中でした。
2002年3月13日(水)のデイの終わり頃、外へいつのまにか出てしまい20分程いなくなったようです。
職員さんが手分けして探すとデイから100m程離れた歩道を歩いていたそうでした。
職員さんが何度か私の携帯に状況説明をして下さって、父は無事デイに戻り、何も覚えてなくて、元気で疲れてもいないとの報告を受けました。
いつもより30分遅れで車で送ってもらい帰宅しました。
父の通っていたデイは、後に父が入居する特養の1階フロアでした。
この建物の1階玄関は出入りがオートドアで自由でした。
父の特養施設は他の施設よりも自由に何でもできることが特徴で、それが裏目に出た形となりました。
オープンの事務室が玄関前にあって、事務職の目があるのですが、たまたまデイ終了時のドサクサで、父が出て行ったのが気付かれなかったのでしょう。
入るのは自由でも、出るのは自由に出られないシステムの施設が多いと思います。
義父イズさんがいた老健も自由に出られませんでした。
この日の私の記録によると、父は帰宅後もご機嫌で、デイは楽しかったと言っていました。
紙パンツも濡れていませんでした。

初めての徘徊は運が良いのか?悪いのか?デイサービス中でしたので、父の徘徊は大したことなく終わりました。
父にとっては物足りなかった?徘徊かもしれません。
というのは、その後、数日のうちにまたまた徘徊してしまったのです。
陽気も暖かくなった3月ですから、外出好きの父が行動的になるのも無理はなかったでしょう。
徘徊については、更に続きます。 

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