介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第157回 タクさんの好きな歌 その3 歌謡曲編【認知症中期】 (2006年12月30日)

いよいよ年も押し詰まって参りました。
我が家の場合はタクさんが亡くなったので例年通りの年末、お正月とはちょっと違いますが、それでも何かと気忙しくなりました。

年末といえば、NHK紅白歌合戦。
タクさんは紅白観覧に当選して母と共に観に行ったことがありました。
いつだったかな?昭和54、5年のことだったと思います。
映るかどうかテレビの画面をじっと観ていたら、会場の席にらしき二人の姿が映っていました。
今日はタクさんが好きだった歌謡曲を書いてみます。
「お父さんは歌手で誰が好きなの?」小学生の頃父に聞くと、「東海林太郎!!」と、父は嬉しそうに即答しました。
「えーっ!あんなの嫌だぁ。まっすぐ立って、頭ボサボサだし」
「いいじゃないか!直立不動で男らしくて!!」と父。
直立不動で燕尾服、髪はくせっ毛でボサボサ気味、丸眼鏡を掛け、口をはっきり大きく開けて歌う東海林太郎。
泣くなよしよし ねんねしな~♪の「赤城の子守唄」。
橇(そり)の鈴さえ 寂しく響く~♪の「国境の町」。
最近になって私も良さがわかってきました。
他にも霧島昇の「旅の夜風」(「愛染かつら」主題歌)、花もあらしも ふみこえて~♪
と父は認知症になってからも歌ってくれました。

この曲は、父がいた特養で上手に歌っていた入居者の方がおられました。
熱海の海岸 散歩する 貫一お宮の 二人連れ~♪の「金色夜叉」。
昔恋しい 銀座の柳~♪の「東京行進曲」は、一生懸命歌詞を思い出しながら、今から3~4年前に歌ってくれました。
父は歌わなかったけれど、私が歌集を見て歌うと喜んでくれた曲として、「東京ラプソディ」。
赤いリンゴに唇よせて~♪の「リンゴの歌」。
つい先日亡くなった青島幸男作詞、植木等、歌の「スーダラ節」は私が歌うと父は大喜び。
父が働き盛りの頃の曲です。
楽しく歌えて元気になれる「銀座カンカン娘」や「月がとっても青いから」。
もしもしベンチでささやく お二人さん~♪の「若いお巡りさん」。
下手な私が上手そうに歌ったら大ウケだった「王将」。
他にも渡辺はま子とか、五月みどりなども好きでした。
父はお風呂に入ってご機嫌が良いと、ババンババンバンバン~♪と「いい湯だな」を私と掛け合いで歌いました。
父に平穏無事に入浴してもらうために、「いい湯だな」を歌いながら汗だくになって入浴介助をしました。

父が知っている曲は昭和30年代位で止まってしまっていますが、この頃は戦後の日本が復興して高度成長時代の良い時代だった頃です。
父は生まれて数年で関東大震災を経験し、若き良き時代を戦争で過ごし、高度成長の日本を支え、大正、昭和、平成と生きてきました。
父の好きだった曲は、日本の時代の変遷と共にあったことをつくづく感じます。
「俺たち二人、歌上手いもんだな~♪一緒に歌って金儲けしようか?!」と言っていた4年程前の父。
父とおしゃべりしながら一緒に歌うことで、楽しい思い出がたくさんできました。
父が認知症にならなかったら、一緒に楽しく歌うことはなかったかもしれません。

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