介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第143回 認知症中期のタクさん 介護保険申請の頃 (連絡ノートその8)(2006年12月9日)

通い介護の私から、父と同居の弟への「連絡ノート」シリーズの続きです。
認知症初期から中期に移行する頃の記録です。
連絡ノートから、認知症の症状などが書かれている部分を選んでご紹介します。
この頃、タクさん、80歳。認知症発症8年。父を呼び寄せ通い介護し始めて7年。
「認知症初期」とは、父の場合、失禁が始まる以前を「初期」、失禁開始後を「中期」としました。

2001年11/13(金) 弟へ
◆市役所に介護認定の申請に行ってきました。
◆いつもの入れ歯、どこかへ行っちゃったみたい。

失禁が続き、とうとう介護保険のお世話になることにしました。
父の「部分入れ歯」がよく無くなりました。
前回は無いと思ったら、流しの三角コーナーに入ってました。

2001年11/15(木) 弟へ
◆今日は色々あって来るのが遅くなってしまいました。電話したら出なくて、来てみたら寝ていて起きたところのようでした。
◆朝、昼の食事は食べてありました。
◆入れ歯は流しの排水溝を掃除したら入ってました。

とにかく、入れ歯はよく無くなりました。

2001年11/21(水) 弟へ
◆市役所の人が介護認定の調査に来ました。(質問に父と私が答える)
◆結果は1カ月後、郵送でここに届きます。
◆市役所の人が長くいたので入浴できなかったので、下着だけ取り替えました。

初めての認定調査でした。
父は聞かれたことに「できますよ!フフン!」て感じで、「バカにしないでくれ!」みたいな顔で答えていた覚えがあります。
あとで、父のいないところで調査員に「ああ言ったけど、実はこうなんですよ」と、事実をひそひそ伝えました。
その時、私は父のことで困っていることを、できるだけオーバーに伝えました。

2001年11/26(月) 弟へ
◆お父さんは入浴と夕食済み。
◆入浴と言っても、お湯に浸かっただけのようです。
◆紙パンツは2回分位濡れていました。(紙オムツでなく「紙パンツ」と呼んでいた)
◆お父さんの部屋のゴミ箱に、排尿1回分位してありました。

発見!!この日のページの行間の隙間に父が再び書き込みしていました。
たどたどしい平仮名で、自分の名前を書いてありました。
それも、欧米風に苗字と名前を逆にして。

2001年11/27(火) 弟へ
◆今日も私が来た時、ベッドで寝ていました。昼食後、寝てたみたいです。
◆いつものことですが、今日も家にいるのに、しきりに「家へ帰る」と言っていました。
◆また、「私の弟のこと(父の息子)はどうした??」と、よく言っています。
「うちの娘はどうした??」と言うので、「ここに居るよ!」と言っても、「もう一人の娘が…」とか言います。
◆弟(父の息子)の名前は忘れないのに、私のことは毎日来てるのに娘だか誰だか混乱しているようだし、名前すら覚えていません。
いつも「あんた」と呼びます。
◆弟が買った紙オムツはSでウエスト70センチまでなので、お父さんには小さすぎます。
お父さんはウエスト85位あるので、Lでないと履けません。
レシートがあれば交換して貰った方がいいと思います。

「家に帰る」と、帰宅願望を訴えていた頃です。
今にして思えば私の名前は覚えてなくても「うちの娘」とか、「もう一人の娘」とか、まだ「娘の存在」が気になっていることがわかります。
去年や今年の認知症末期の父は、私と向かい合っても、名前どころか、娘の存在すら記憶から無くなっていましたから。
また、この頃、父はウエストが大きかったのですが、その後ウエスト77~79センチ位に細くなってしまいました。

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