介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第139回 認知症初期のタクさん 失禁と徘徊の予感(連絡ノートその5)(2006年12月5日)

以前書いていた「連絡ノート」のシリーズです。
【注】
「連絡ノート」とは?
父の元へ通い介護していた時、帰る前にその日のことを「連絡ノート」に書いて、後から帰宅する父と同居の弟が見てわかるようにしていました。
通い介護で行くたびに毎回書いていましたが、ほとんどのノートはもうありません。
2001年から2002年のノート3冊だけが手元に残っています。
その中から認知症の症状などが書かれている部分を、ご紹介します。
この頃、タクさん、80歳。認知症発症8年。父を呼び寄せ通い介護し始めて7年。
「認知症初期」とは、父の場合、失禁が始まる以前を「初期」、失禁開始後を「中期」としました。

2001年9/16(日) 弟から私へ
◆お父さん、夜中トイレがわからなくなったらしく、風呂場で用を足してしまう。
◆土曜日の午後、タバコの葉を湯飲みに入れて少し飲んだらしく、夕方また以前と同じように具合悪くなりかけたけど、しばらく様子をみていたら良くなった。
◆朝、父はどういうわけか、股引、猿股等脱いでしまっていた。
【注】
父はパイプタバコを吸っていたので、パイプタバコの葉をお茶っ葉のつもりでお湯を注いで飲んだのでしょう。
大変なことにならなくて良かったけれど、今考えてみると無用心だったと思います。

2001年9/17(月) 弟へ
◆トイレや風呂場の混乱は日中もよくあるけれど、ひとこと教えてあげれば日中は大丈夫でした。
着る物は自分で着替えをしているつもりで脱いでしまったんだと思う。
◆どれも付いていて、指示してあげれば日中はなんとかなっている。
指示や補助をしてあげないと何もできないみたいです。

2001年9/28(金) 弟から私へ
◆昨夜、自分がトイレにたった時(2:30頃)、父さんがいなくなっていることに気付いた。
父さんは夜中トイレに入ったあと、外に出てしまったようだった。
自動ドア(マンションの集合玄関の自動ドア)の外に立っていて、中に入れなくて困っていたようだった。
遠くへ行く気はなかったようだけど。
◆夜、とりあえず補助錠かけとけば少しは良いかと思うが。
父さんは何で外に出たのかわからないと言っていた。
【注】
父の家はマンションの2階でしたが、
オートロックの集合玄関はこのマンションの立地条件上、2階にありました。
ですから、エレベーターや階段を使わなくても集合玄関に出られるのです。

2001年9/28(金) 弟へ
◆トイレと洗面所、風呂を間違いそうになるのでドアに紙を貼って書いてわかるようにしました。
お父さんもこの方が良いと言っていました。
◆夜中のできごとの件ですが、数日前もトイレに間に合わず、少し下着が濡れたようで、下着がゴミ箱に捨ててありました。下ばきを脱いでしまったのは、濡れていて気持ちが悪かったせいでした。

2001年10/2(火) 弟から私へ
◆父さん、明け方4時頃起きて、玄関開けたり、パン食べたりしていた。
だから、昼、寝てしまうかもしれない。時間の感覚がおかしくなっているようだ。

2001年10/3(水) 弟へ
◆お父さん、元気でいつも通り。昼寝などしていませんでした。
◆夕食もよく食べました。

2001年10/4(木) 弟へ
◆お父さん、服のポケットに財布を入れて、家に帰るつもりでいました。
財布には1万円ちょっと入れていたはずなのに、小銭しか入ってません。
どこへやったのやら??財布はいつもの引き出しに戻しておきました。

2001年10/5(金) 弟へ
◆私が来た時、お父さんはお菓子の袋に入っていた乾燥剤の中身を取り出し、
それで食堂のテーブルを拭いたらしく、テーブルが真っ白になっていました。
床にもこぼれていたので掃除しました。
【注】
乾燥剤を間違って食べなくて良かった!!食べようと思って乾燥剤の袋を無理やり開けたらこぼれたので、こすって拭いたのかもしれません。
乾燥剤といい、パイプタバコの葉をお茶っ葉と間違えることといい、幼児が間違って食べる物の筆頭です。

今、あらためてこのノートを読むと、当時は無用心だったとハラハラしてしまいました。

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