介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第123回 認知症初期のタクさん 心配な行動 (連絡ノートその4)(2006年11月18日)

父の家へ自転車で通い介護していた頃。
私から父と同居の弟への連絡ノートの記録です。
この頃、タクさん、80歳。認知症発症8年。父を呼び寄せ通い介護し始めて7年。

2001/8/29(水)
◆今日も私が来た時、お父さんは「夜の見回りに行く」と言っていました。
でも、時間や場所、連絡先の電話もわからないと言っていて、変だったので1時間以上かけて、いつもの状態に戻ってもらいました。
◆心配だったので、夕食終えるまで、ずっといました。
まだ夜でもないのに、それに見回りする必要などないのに。
昔、駐車場の車をいたずらされて困ったことがあり、夜遅くに見回りに行っていたことがありました。
また、犬を飼っていた頃、夜遅くその日の最後の散歩に連れ出していたことがありました。
そんな記憶があったせいかもしれません。

2001/9/3(月)
◆敬老会のお知らせは郵送で来たようだけど…??
お父さんが手に取って見ていたけど、混乱するのでメモ帳の下に隠しました。
この頃、マンション1階の集合ポストまで新聞や郵便を時々取りに行っていた父。
そんなこともまだできてたんだ!!
でも、その郵便物などを家に持ちこんでから失くしてしまったりする心配がありました。
書いてある内容をきちんと理解せず、誤解することもあったので、この時はお知らせを隠しました。

2001/9/5(水)
◆今日の午後、受話器が外れていました。私が電話した時、
ずっと話中だったのは、そのせいみたい。
どこからか電話がかかってくると、父はちゃんと電話に出ていたようです。
でも、そのあと、受話器を元通り置くのを忘れているようです。
これでは肝心な私からの電話が受けられません。毎回ではなかったけれど、困ったものでした。
この頃、通院していた歯科のことが気になって、歯科の電話番号を電話帳で調べてかけていたことがありました。
父のメモが残っていたのと、電話帳が出しっぱなしだったのでわかりました。
ところが、父が調べてかけた歯科は、同名の別の市の関係ない歯科でした。
歯科通院日は、どうせ一緒に行くのだから、そんなこともあって、前もって知らせることは止めました。
早めに伝えると(カレンダーには書いていたが)、気になってしょうがない様子でしたから。
結構できることがあったものの、正しくはできない状態でした。

2001/9/6(木)
◆市からの敬老金5,000円を、民生委員が私が来る前に届けに来たみたいです。
お父さんが持っています。
受け取ったのし袋を見せてもらって、「これどんな人が持ってきたの?」と聞いても、父は「はて??」って表情で答えられなかった覚えがありました。
玄関に人が来ると簡単に出てしまうようでした。
危ない、危ない。民生委員だから良かったけれど。

当時のノートを見ながら書いていると、当時のことがはっきり思い出せます。
まだ、父が生きているような気がします。

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