介護日記・二人の父の雑記帳 第101回〜

【第107回】タクさんの体力低下への経緯(2006年11月1日)

タクさんは亡くなるまで13年の長い認知症歴ですが、そのほとんどの期間は元気でした。
風邪で高熱を出したこともありましたが、数えるほどでした。

◆たいしたことなかった狭心症
2003年初夏に最初のグループホームに1カ月半だけ入居しました。
ここは父に合わなかったため、短期間で退去したのです。
そこを退去する目前に、初めて狭心症の発作が出て、2日間だけ入院しました。
グループホームでのストレスがあったのかもしれません。
この年は、その後、1~2度発作があったものの、大したことなくすみ、その後もめったに発作は起きませんでした。
この頃も足腰はしっかりしていて、杖は持っていましたが、使わなくても大丈夫でした。
特養に入居する数日前、2度目に入居していたグループホームから、夜間に徘徊してしまうほど元気でした。

◆環境の変化も乗り越えた
2003年初夏から2004年春まで、当時、82歳の父の生活はめまぐるしく変わりました。
2003年5月、最初のグループホーム→7月、在宅生活に戻り初めて訪問ヘルパーを入れる→2004年1月、2度目のグループホーム →3月、亡くなるまで居た特養での生活 父には気の毒な環境の変化でした。
しかし、それによって父の認知症が急速に進むことはありませんでした。
認知症が進んでいて自分の居場所の区別がつかず、環境の変化に対するとまどいがなかったせいかもしれません。
2004年3月に特養に入居し、認知症が進むのではないかと心配しましたが、特に変わりはありませんでした。
身体的な面も低下することはありませんでした。

◆歯の治療を拒否
しかし、父のネックは「歯」でした。
在宅の頃から私と頻繁に歯科に通っていましたが、認知症が進むにつれ、歯科治療を拒否するようになりました。
歯槽膿漏でグラグラの歯の治療を残したまま、やむなく中断することになってしまいました。
その時点で父の場合は結構自分の歯が残っていましたが、良い状態ではありませんでした。
早い時期に総入れ歯だった方が、その後の経過を振り返ってみると、まだマシでした。

◆歯が悪いと…
2004年3月に特養に入居してしばらくしてから、次々にグラグラだった歯が折れました。
私が覚えているだけで3本位。
2005年後半になると、折れただけでなく、歯茎が腫れたり、虫歯が進行したりして、食事が美味しく食べられなくなり、食事を残すようになりました。
訪問歯科の診察は認知症のため拒否が強く、治療するに至りません。
せめて、口腔内の掃除はして欲しかったのですが、なかなか口も開けません。

◆排尿がない
2005年晩夏、父の排尿がごく少なくなりました。
かかりつけの泌尿器科を受診すると、病気ではなく水分が足りないことによるものでした。
夏でも、老人は水分をあまり取りたがらないので、規定の水分量が取れていなかったようでした。
危うく脱水になるところでした。

◆歯のために、きざみ食に
2005年秋、歯の状態が悪いため、食べやすい「きざみ食」になりました。
食事が進まないためだけでなく、なぜか父は2003年夏頃からどんどん痩せていきました。
それでも父は元気でした。

◆背骨を潰す
2005年秋、父は特養フロア内をあちこちよく歩き回りました。
階段で転んだり、ベッドから転落したりしましたが、運良くいつもかすり傷程度ですみました。
が、10月中旬、ベッドから転落したのか定かではありませんが、明け方自室で倒れていて、診断の結果背骨の一部が潰れていました。
そのため強い腰痛で、ベッドの寝起き等が自力でできなくなりました。
しかし、運の良いことに、コルセットと貼り薬だけで40日位で自力で完治しました。

◆脱水症状
2005年11月中旬、発熱による脱水症状で病院受診、数時間の点滴で回復しました。
年寄りは、一般的に飲み物を勧められ、OKの返事をしてもなかなか飲まないものです。
父も多分そうだったのでしょう。規定の量はある程度飲んでいたのかもしれませんが、足りなかった。
この時は、まだ背骨も完治しておらず、腰痛があった頃なのに、さらに言葉も出せなくなり、意識朦朧とした父を見て、初めて「死ぬかもしれない」と思いました。
この頃以来、私は父の死の心構えを始めました。

◆食事が進まないため食事介助に通う
2005年11月の脱水症状の頃から、父の体力は急速に低下して行きました。
体重はますます減り続けました。
食べるのに時間がかかるようになり、飲み込み易い「きざみ・とろみ食」になり、私は一日置きに夕食の介助に通うようになりました。
この頃は2月の誕生日を迎えるのが目標でした。
背骨は治り腰痛もなくなりましたが、父自身も、以前のようにフロア内をあちこち歩き回ることは少なくなりました。
認知症の進行うんぬんよりも、父の健康状態を維持することが課題となりました。

◆2006年の冬から春・初夏は安定期
この時期は大きな出来事はなく、無事2月の誕生日を迎えて85歳となり、夏までの日々を過ごしました。
状態が良い5月に特養の職員さんと車で昭和記念公園に行き、車椅子で園内を巡りました。
父は、何が何だか分からない様子でしたが、こんなに外の広い場所に出たのはデイに通っていた頃以来なので、2年ぶりくらいだったでしょう。
父の最後の行楽となりました。

◆2006年7月、全て抜歯する
歯の状態が良くないこと、飲み込みが悪いことなどで、食事はますます進まなくなりました。
私の夕食介助はずっと続きました。
今年、2006年7月。数ヶ月前から抜歯については悩みましたが、訪問歯科の先生の助言により、食事をきちんと美味しく食べられるようにするため父の残りの歯と残っている歯根を全て抜歯しました。

◆誤嚥性肺炎で入院
全て抜歯して歯茎の状態が落ち着き、よく食べられるようになった今年の8月末、夜中に発熱、誤嚥性肺炎を起こしていて1カ月の入院生活となりました。
入院中、発熱で良くなったり悪くなったり。
入院中から、誤嚥性肺炎のためミキサー食になり、私は毎日夕食介助に通いました。
父はよく食べていました。
入院中寝たきりだったため、ADL低下が心配でした。
そのため、完治はしていないものの、点滴をしなくなった時期に退院。
体重も最低の33kgになってしまいました。

◆よく食べて、何とか歩き出したのに…
退院後、10日に1度の割りで軽い発熱がありました。
特養に戻ってもミキサー食ですが、とてもよく食べていました。
1カ月寝たきりの入院生活でしたが、父は立つことができて、介助付きで何とか歩くことができるようになりました。
少しの希望が見えていた矢先でした。
しかし、この1年で父の体力は明らかに低下していました。
緊急で病院に運ばれ胸のレントゲン検査の結果、9月の退院時よりも肺は全体が真っ白になり、重症の肺炎でした。
今年の夏頃から、父の寿命は限界だったのだと思います。
退院後、5週間目に亡くなりました。
父が緊急で病院に運ばれた日は、24年前に亡くなった母の77歳の誕生日でした。
母が誕生日を一緒に祝おうと呼び寄せたのでしょうか?

◆きっかけは…多分「歯」から
父の場合、きっかけは歯が悪かったことからでしょう。
歯のせいで、ここまで体力低下の坂を駆け下りるなんて、悔しいですが…。
さらに、老人に致命的な脱水で低下の拍車がかかり、老人の死亡率ナンバーワンの誤嚥性肺炎に至る最期。
また、これらの体力低下に関わることとして、認知症であったことも原因していると思います。
認知症でなければ、悪い歯も治せたかもしれないし、脱水も誤嚥も起こさなかったかもしれません。
自分のことを省みることが出来ない認知症であるために、病気が進行しやすいのでしょう。
脳内の働きが抑制されてしまうがために、体の働きが一般の老人よりも落ちてしまうのです。
結局最後は、認知症よりも体との戦いなのです。

[参照]
歯を全て失ったタクさん【認知症末期】
誤嚥性肺炎のタクさん(入院含む)【認知症末期】

【第108回】持ち主がいない引越し(2006年11月2日)については、こちらへ。

関連サイト

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