介護日記・二人の父の雑記帳 第101回〜

【第103回】認知症への誤解(2006年10月25日)

ある県での県政モニター200人への認知症についてのアンケート。
回答率84.5%。
「人格がこわれている」「性格が変わってその人じゃなくなってしまう」などの回答があったそうです。
また、「認知症は何も分からなくなるので不安を感じることがない」という回答が全体の3割(複数回答)だったとか(参照→「陸奥新報 2006.10.17」より)

私の父は認知症発症13年ですが、その介護経験から言うと、上記のようなことは全く言い当たりません。
最近は殆ど自力で出来ないことばかりで、意思疎通も思うようではなくなりました。
けれど、人格が壊れている訳ではありませんし、性格も変わっておりません。
「何も分からなくなるので不安を感じない」のではなく、逆です。
「何が何だか分からなくなったので、本人自身が不安で一杯」なのです。
認知症中期のいわゆる徘徊や暴言や抵抗などの問題行動と言われるものも、不安が元になって起きる行動だと思います。
だから「何もわからなくなって、本人は幸せだよね」と言われると、「本当はそうじゃないんです!!」と言いたいのです。

私は父の介護をしてきて、世間一般では上記のように認知症についての理解が正しくされていないと常々思っていました。
私自身、父が認知症になった当初は、「認知症になると性格が変わってしまうんだ…」
などと誤解していました。
本にもそのように書かれていたからです。
性格は変わりません。
昔からの本人らしさは認知症末期になってもしっかり保持されています。
思ったように話が出来なくても、こちらから、話しかけてみれば分かります。
本人らしさはそのままです。
人格は壊れてなんかいません。
きちっと、昔からの常識をわきまえています。
良くも悪くも昔からのまま。
昔のことをよく知っている家族が話かけてみれば、壊れてなんかいないことが分かります。

それは父の場合だけではないと思います。
ただ、感情をありのまま、素直に表現してしまうだけなんです。
認知症末期の父は情けない顔になってしまいましたが、痩せてしまい、歯がないためです。
昔から言う「痴呆」のイメージ、ボーッとして何にも考えていないみたいな表情…
確かに一見そう見えます。
でも、それはバカになったからではありません。
痩せて、歯がなくて、目に力がなくなったので、そう見えるだけです。
何が何だか分からなくなって不安で一杯の人が、生き生きとした表情が出来るとでもいうのでしょうか?
話しかければ我に返って、たとえ言葉はなくても(表現力、理解力が乏しくなったため)、何とか表現したいと思っているのです。

私はいつも「自分が認知症になったら、どう接して欲しいか?」、そして「認知症の人の立場にたって介護する」を念頭に接してきたつもりです。
「認知症の人の立場にたって」とは?
先に書いたように認知症の人は「何が何だか分からなくなったので、本人自身が不安で一杯」なのです。
不安で一杯の人の、「不安を一つ一つ取り除いてあげる介護」それだと思います。
そして、本人自身では、喜びや楽しみをどうやって見つけたら良いか分からなくなっているのですから、その手助けをして差し上げるのです。
認知症初期の何度も同じことを話す、同じことを繰り返して訊ねる…。
認知症中期のいわゆる問題行動と呼ばれる徘徊、暴言なども…。
そして、末期の無反応でボーっとした様子も…。
どの時期であっても、たとえ返事がなくても、話しかけて、優しく接して下さい。
ご本人の不安な気持ちを、解きほぐす介護で、きっと穏やかになられると思うのです。
父の場合はそうでした。

人格も壊れない、性格も変わりません。
一つずつ不安を取り除いてあげましょう。
支えになってあげましょう。
肉親だったら、失望せずに、優しく偏見なく、接して差し上げましょう。
生きていることの喜びや楽しみを、共に導き出して差し上げるのです。
身内が認知症になったからと言って、悲観されないで下さい。
心で介護していきましょう!!
それによって得るものは、とても大きいものがあると思います。

【第104回】タクさん、亡くなる(2006年10月26日)については、こちらへ。

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