介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

戻る

第96回 ますます好きになった「幼いこども」 (認知症中期のタクさん その22)(2006年10月18日)

前回、父が認知症になってから好きになった「歌を歌うこと」を書きました。
今回は認知症になってから、以前より増して好きになった「幼いこども」のことです。

◆おっ!チビが居る!!
父と一緒に外へ出た時、父が真っ先に発見するものは「幼いこども」でした。
昔から幼児に目がない父で、外で見かけると「おっ!チビが居る!!」と必ずニコニコして眺めていました。
あまり大きく成長したこどもには、それ程関心はなくて、小学校低学年位までのこどもが好きなようでした。
それも特に男の子が好きでした。
私の弟が、跡取りで長男だったため、幼い頃非常に可愛がっていた名残りかもしれません。

では、私の息子が幼かった頃は可愛がっていたかと言うと、その頃父と接触した機会が少なかったせいか、残念ながらあまり特別な印象は残っていません。
年に1~2度会う程度だったので、普通に可愛く思っていただけかな?と言う印象です。
息子の方は、この頃父のことを「ブーブーじいちゃん」と呼んで、イズさん(夫の父)よりは親しみを持っていたように思います。
イズさんと区別するため、いつも車(ブーブー)を運転してやってきたタクさんのことを自然とそう呼んでいました。

認知症中期になって、他の事柄に関心が薄くなっても、遠くからでも幼いこどもをいち早く発見して「チビだ!!」と言っていました。
「お父さん、こどもを見つけるの早いね!」と私はよく言ったものでした。
道路の反対側に居てもすぐ発見して、笑顔をほころばせていました。

◆こどもに声を掛ける
そばにこどもが居た場合は、必ず声を掛けるようになりました。
駅の混雑した中で私立小学校の制服姿の男の子に「おい!ボク?!どこの学校だ?」といきなり声をかけたことも。
小学校1~2年生位でしたが、はきはき応えて「変なじいさん」とは思ってなかったようでした。
大きな病院で待たされた時なども、傍に居た幼児に「ボク?!」と声を掛けました。
でも、ピンクの服を着て、どうみても女の子。
まだ幼すぎてしゃべれないようで、キョトンとしていました。
父は女の子でも、幼児は全て男の子にしてしまっていました。

◆TV番組「おかあさんといっしょ」を楽しむ
父はCMのうるさい民放は好まないので、NHKをいつもつけっぱなしにしていました。
毎日夕方は「おかあさんといっしょ」の再放送の時間です。
これは幼児が沢山登場して、体操のおにいさんと踊ったり体操したりする場面があるので、父はとても喜びます。
「ほら!あの子が泣いている~はははは!!」なんて、泣いている子が居ると特に嬉しそうに観ていました。
けれど、認知症中期も後半になると、だんだんTVの内容や様子を理解できなくなり、私が画面を指し示してこどもが居ることを教えてあげても、理解しにくくなりました。

◆ぬいぐるみの「コアラちゃん」
このぬいぐるみは今から3年半位前?に私が買って父にあげた物で、お菓子の「コアラのマーチ」のキャラクターぬいぐるみです。
その名もずばり「コアラちゃん」。
高さ30cm位の程好い大きさで、目鼻立ちがはっきりしていたので、認知症中期後半の父にもわかりやすかったようでした。
この頃、あまり小さな物は何だかわからなくなってきていました。
「ほら!コアラちゃんが来たよ!」と私が言ってそばに置くと、「ボク?!ボクは幾つなの?ボクのお名前は?」などとコアラちゃんに尋ねるので、私がコアラちゃんに成り代わって「ボク、三つなの♪」とか応えてみたり、コアラちゃんの体を動かしたりしました。
「おじいちゃんはね、コアラちゃんが大好きなの♪」などと、父はコアラちゃんに本気で小さなこどもだと思って話しかけていました。
コアラちゃんは、こども好きな父のちょうど良い話し相手になりました。
ただし、ただ置いておくだけだと気付きません。
コアラちゃんが生きているかのようにして父の前に登場させないと、認識しません。
でも、時にはコアラちゃんをぬいぐるみだと理解出来ない日もあって、コアラちゃんの耳をパクッと食べようとすることもありました。

◆ぬいぐるみの「シロ」
この頃、白いタオル生地の小さなぬいぐるみがあって、父が「白いから、お前はシロだ!」と名付けた「シロ」という犬のぬいぐるみがありました。
そのうちこれはタオル地のせいか、雑巾代わりにテーブルを拭いたり、父の口を拭いたりするのに使われ悲惨な運命を辿りました。
小さくてタオル地だったので、ぬいぐるみとして理解されにくく、活躍したのは短い期間だけでした。
「シロ」が汚れてヨレヨレになったので、「コアラちゃん」が新たに登場したのでした。

◆こどもと見まちがった人
こどもを外で発見するのが得意な父でしたが、たまにまちがうこともありました。
「向こうから来るのはこどもか??」と、父。
遠くからこちらに向かってヨタヨタ歩いて来る人がいました。
近くまで来たら「な~んだ!ばあさんじゃないか!!」と、父のがっかりした顔(笑)

◆ますますこども好きになった理由
父が認知症になって、ますます幼いこども好きになった理由は何でしょうか??
人間本来の幼いものや可愛いものを、何のてらいもなく慈しむ気持ちが、認知症になることによって、外側の皮が剥がれて、更に素直に表現できるのではないかと思いました。

◆認知症の人は…
認知症になると、物事に対して凄く素直に表現するようになる気がします。
痛いこと、怖いこと、悲しいこと…etc.

【痛い】
父は認知症が進む程にこらえ性がなくなり、注射をとても痛がりました。
バンドエイドを剥がすだけでも痛がって大変でした。

【怖い】
父に何かをさせようとして、無理に体を動かそうとすると怖がって嫌がり、傍にあるものをきつくしっかり掴んで離しません。
父は絶対に体を動かされないようにします。
こうして、恐怖を感じた時は、どんな時でも自分の身の安全を確保しています。

【悲しい】
戦争に行った体験をたまに話してくれましたが、「本当に生きて帰れて良かった!」と涙を流しながら話しました。
昔の父なら、涙なんかみせることは絶対にありませんでした。
どれも、父が思ったままを素直に(悪く言えば、むき出しの理性)、表現していることと言えるでしょう。

では、楽しいことは?と言えば、「歌を歌うこと」「幼いこどもとのふれあい」と言うことになるでしょうか。
認知症末期の現在では、その楽しいことも、徐々にできなくなってきています。
手助けしてあげなければ、父自身では楽しいことをつかみきれないのです。

親ケア.comオンラインサービス「繋がる」
おやろぐ