介護日記・二人の父の雑記帳 第51回〜

【第92回】暴言や暴力 (認知症中期のタクさん その20) (2006年10月14日)

◆厳しかった昔の父
前にも書いたことがありましたが、父は昔から頑固で短気できちっとした面があり、私に対して大変厳しい人でした。
その性格が私の子育てや教育によく現れていました。
私は親から見ると小さい頃から(弟が生まれた頃から)反抗的な子供で、扱いにくい子供と思われていたようでした。
本棚には、そのような子供に対する「しつけ」や子育てに関する本が置いてありましたから。

同じ兄弟でも弟に対しては長男で、跡取りであるという昔堅気の考えから、とても大事にして逆に甘やかし、何をやっても直接怒ることはほとんどありませんし、殴ることもありませんでした。
私は母からは細かいことをやかましく注意され、父からは何でも頭ごなしに叱られ、「口応えするとタダじゃおかないぞ!」と、父に物凄い形相で怒られ、殴られ、新聞紙をまるめて叩かれることもありました。
そんな時、母はTVのドラマによくあるように「お父さん、許してあげて!」と、子供をかばうようなことはなく、「お父さんに刃向かっちゃダメよ」と冷たく言うだけでした。
母も父に何か言っては父がますます逆上するからと思ったのかもしれません。
しかし、子供心に弟とあまりに違う父親の対応と、父に殴られても助けてくれない母に対して、私は「こんな家嫌だ!」とよく思ったものでした。
最近よくある事件で、子供が親を殺して家に火をつける家族と似ているかもしれません。
大人になってからは、私の視野が広がり、両親のことや兄弟のことを客観的に見られるようになり、自分の中ではそれらのこともすっかり解決していました。
親子関係は私が成人した頃には、すっかり良くなっていて、仲良くやっていました。

◆認知症の人の立場にたって介護する
前置きがすっかり長くなりましたが、上記のような父を介護することになり、当初は昔のことが思い出され複雑な気持ちでした。
父の状態によっては昔の父のことを思い出して「こんな父の面倒なんか看たくない!」
と思ったことも最初の頃はありました。
しかし、前にも書いたことがありますが、本や介護の講演会などで認知症についての知識を得て、認知症のことを理解するようになると「自分が父のように認知症だったら、どうされたいか?」
を考えて介護するようになりました。
私に対して厳しく、暴力が出る父であっても、それは過去のこと。
認知症になった父に昔のことを取り上げて一緒にしてはいけないと思いました。

◆自分が認知症だったら、どうされたいか?
「自分が認知症だったら、どうされたいか?」これが私のモットーです。
これを念頭に介護すれば、父がどのような状態になろうが、叱ったり、怒ったりすることはないわけです。
しかし、私も聖人君子ではないので、心の中では怒ることがありました。
いらだつこともありました。
でも、できるだけ心の中で留めて置くのです。
たまに、私だって切れることはありましたが、別の部屋へ行くなど「その場を離れる」ことで父に対して「距離と時間を置く」ことで解決しました。
とにかく冷静になりましょう。介護する側は認知症ではない、きちんと自分を見ることができる立場なのですから。
だから、父に対して「ダメ!」とか否定的なことはほとんど言いませんでした。

◆父の暴力
私が父に対して怒ったり、叱ったりすることがありませんから、父も口では怒ることは多少あっても、私に対しての暴力は全くありませんでした。
あんなに昔、短気で私を叩く、暴力がすぐ出る父なのに。
何を言われても受け入れる、その人の気持ちを考え、その人に合った対応をすること。
それがあれば、暴言や暴力はある程度防げるのではないでしょうか?
この頃、ケアマネさんが「皆がタクさんのようにおとなしい性格で、暴力がないわけじゃないんですよ。苦労されてる方が多いんですよね」とおっしゃってました。
父も元々の性格は、先に書いたように荒々しい部分も多い人なんですけれど…。

しかし、ショートステイなどで、特に入浴の時などは、「何をする!!」と介護職の方を殴ったことも何度かあったようです。
父の場合、このようになりそうだったので、デイでは入浴は一切せず自宅で私が入浴させました。
私との入浴も大変だったことは以前書きましたが、入浴中の暴力は全くありませんでした。
ショートステイでは、入浴の仕方も対応の仕方も私がするのとでは違うでしょう。
いくらベテランの職員さんでも、父のことが全て分かっている私が対応するのとは、やはり違うでしょう。
人は千差万別ですから、1~2回の入浴では、生活を共にしている家族程の対応は無理で、職員さんに父の暴力が出てしまうのも仕方ないことだと思っています。

◆父の暴言
昔から弁が立ち、口では人に負けない父でしたが、認知症になってからも暴言はありましたが少ない方でした。
暴言とは言えないかもしれませんが、少し書いてみます。

父はむしゃくしゃすると「火つけてやりたい!」と放火犯のようなことをよく言っていました。
認知症初期の頃、頭がどうにかなってしまったことを自分でも感じて「首くくって死にたい!
何のために生きているのか?何の楽しみもない!!」と言う事も時々ありました。
家では観るでもないTVを一日中付けっ放しにしていました。うるさいCMが嫌いなので、主にNHKにしていました。
国会中継などの議員の発言を聞いて「何言ってやがる!俺が総理大臣になってやる!!」
などと文句を言っていました。
よく通っていた歯医者には、行くのが嫌だったので「歯医者なんか大したことやってないのにボロ儲けしているんだ!」などと。
そんな父には、「優しい言葉で、気持ちを荒立たせないようやり取りする」ことで収まりました。

◆介護の掃き溜め口
父の認知症初期の頃は、掃き溜め口を私はたくさん作っていました。
好きな音楽やガーデニング、子供がまだ小さかったので家族旅行、友人と会うなど、父の状態を見ながら、合間に自分の楽しみを作りました。
パソコンやインターネットにもはまっていました。
掃き溜め口がなくては良い介護はできないと思います。
しかし、認知症も中期になって父を一人にしておけない状態になると、掃き溜め口も制限されました。
デイ、ショートなどを利用して、「自分だけの介護」から、他人の手を借りる皆で介護」に移行していきました。
他の人に介護してもらっている間に、自分の時間を作って自分の心に余裕を持たせるのです。
この時期は、さすがに趣味の音楽やインターネットは続けられませんでした。
たくさん持っている音楽CDもほとんど聴くことはなく、聴く気にもならず、かなりのネット依存症だった私でしたが、ネットは5年間絶ちました。
この間、ネットからの介護情報は一切得ることはありませんでした。
本や介護家族会への参加、介護教室や講演会に参加することで認知症についての情報や対応法を得ました。

また、父をデイやショートに出している間に、家族会や介護教室などに参加して介護者家族と交流することが掃き溜め口になり、うっぷん晴らしにもなりました。

【第93回】認知症になって好きになったこと、「歌」  (認知症中期のタクさん その21)(2006年10月15日)については、こちらへ。

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