介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第91回 探究心旺盛だった頃(認知症中期のタクさん その19) (2006年10月13日)

「認知症中期のタクさん」シリーズ復活です。
タクさんの病状を、時期を分けて書いてみると次のようになります。

◆初期(1993年~2001年後半 72歳~80歳)…失禁がない頃
◆中期(2001後半~2004年後半 80歳~83歳)…失禁が始まり、徘徊等目立った行動があったが
元気だった時期
◆末期(2004年後半~ 83歳~)…会話が成り立たなくなり、体力の衰え
(現在はこの時期、特養は2004年3月入居)

タクさんがこの頃、自宅でよくやっていた事柄を思い出してみました。
認知症以前の、元々の性格から来ていることが多いように思います。
認知症だからこうなったのか、元々の性格でこうなったのか、判別つけがたいです。
男性らしい行動も多いのではないでしょうか?

◆探究心旺盛[カメラ]
タクさんは元来カメラ小僧?でした。
今で言う「アキバ系オタク」の元祖?かもしれません(笑)
昭和30年代から40年代初め頃、タクさんはカメラに凝っていました。
カメラ雑誌を毎月買って、カメラのことを研究して、やっと買った一眼レフ。
それを持って、屋外でのモデル撮影会に参加。
家へ帰ると部屋に暗幕を張って誰にも入らせないようにして、撮ってきた写真の現像や焼き増しをせっせとやっていました。
上手く撮れたモデルの写真を家族に見せて自慢していました。
親不孝な私は鼻で笑っていました(^-^;;

のちには、色々な種類のカメラを少しずつ買い足していました。
そのうち、いらないカメラが私にお下がりとなる恩恵も受けましたが(苦笑)
そんなにカメラが好きで、カメラやその道具類を色々持っていたのに、「これ、なんだっけ?」と。
聞かれても、私にも分からない道具だったりしました。
そのうち「これなんだろう?変だな?」と、無理やりひねったり、引っ張ったりして、いつのまにか壊してしまうカメラや関係の物、多々。
何だったか忘れても、壊してくれるなよ~(私の物じゃないけど)って思いました。
あんなに入れ込んでいたことでも、何だったか分からなくなるのですね…。

◆分解はまかせてくれ[文房具]
ボールペンもキャップをするのを忘れて書けなくなり、分解してしまったもの多々。
集めていた万年筆の数々も分解。「死んだらあげる」と言っていたのに。
目覚まし時計も、あんなに自慢していたパイプの数々も分解しちゃいました。
本のページを何枚も手でビリビリ切ってしまいました。
本のページを折り込むことは得意中の得意。
最初は大事なページを目印として折り込んでいたはずだったのに。
そのうち、ほとんどのページを折り込んでいました。

◆移動は得意
父の寝室の本棚にぎっしり詰まっていた本の数々を、何冊かずつ食堂の父の席のそばに運び込んでいました。
毎日やっているので、どんどんテーブルの本は増え、山積みに。
その代わり、寝室の本棚はガラガラ。
食堂のテーブルの山積の本は時々崩れ落ち、父はまた積み直し…それが毎日の日課でした。

◆秘密の扉
父がいつも居る食堂のテーブルの傍の、横と後ろに開きの扉の収納棚があります。
特に入れやすい横にある扉の中には、他の部屋から持ってきた様々な物がぎっしり入れ込まれていました。
どれも、ほとんど使ってない物です。
扉を開けると、雪崩のように崩れてこぼれ落ちます。
こぼれると無理やり押し込んで、隙間があると他から持ってきて詰め込むことが日課でした。

◆椅子をどけるのが得意
私が掃除機をかけていると、よく「手伝おうか?」と言ってくれて、食堂の椅子を邪魔にならないよう片付けてくれました。
そのせいか、特養でもよく椅子やテーブルを動かそうとしていました。
掃除機もかけたがったので、時間がある時はやってもらいました。
放っておくと、同じ所ばかりガーガーやっていましたが、結構できていました。

◆洗濯物の取り込み
たまにベランダの洗濯物を取り込んで、所定の場所に私がやるように掛けておいたりしてくれました。
洗濯物を持って転ぶのが心配なので、私がいない時はしなくていいと言ったのに、時々取り込んでありました。

◆爪楊枝コレクター
父は昔から食後しばらくの時間、食卓に着いたまま爪楊枝でシーハーやっているのが習慣でした。
だから、爪楊枝は切らさないよう用意してありましたが、父は節約家でした。
使った爪楊枝は捨てずに、先を小さくちぎったティッシュで巻いて、テーブルの上か食器棚にたくさん並べていました。

[参照]
>タクさんの病歴と経過その1
>タクさんの病歴と経過その2

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