介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第73回 終末期ケア(2006年9月24日)

今朝(9/23)のタクさん、熱は下がり今日の病院受診はとりあえずなくなりました。
今日一日、発熱はなくミキサー食の食事も三食ともよく食べました。
ただ今、要経過観察中の状況です。
という訳で、少し緊急性から遠のいたので、認知症末期のタクさんとして、避けては通れない課題について少し書いてみます。

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誤嚥性肺炎は老人に大変起きやすい病気ですが、それだけでなく、「認知症が進行すると脳の病変が進むため体が動かせなくなり、嚥下も困難になる」ことから発症するという記述をネットで知りました。

口の中にとろみをつけた食べ物が入ると反射的に飲み込む状態になるものの、いずれはそれも困難になり、体に管を通す経管栄養(胃ろうを含む)や中心静脈栄養を行わなければ死に至る…だそうです。

ということから、嚥下が困難になり栄養の経口摂取が出来なくなった場合、下記のような栄養摂取法を選択するような状況に現在の日本ではなっているようです。
日本ではそうですが、海外では国によって異なるようです。

現在の父の場合、食欲があって食べているというよりも、口に物が入れば何でも食べる、それが食べ物でなくても反射的に…そんな感じもします。
人間、無意識でも死なないために、口に入ったものは何でも食べるように出来ているのでしょう。赤ちゃんもそうですね。

◆胃ろう
胃ろうは、口から十分に栄養が取れない患者に、内視鏡(胃カメラ)を使っておなかの壁と胃の壁を通して小さな穴(この小さな穴のことを胃ろうと言います)を造り、その穴にチューブを入れる手術です。そのチューブを通して栄養を摂取します。

点滴、中心静脈栄養や、鼻から管を通して栄養補給をしているほとんどの患者に有効で、特に高齢で口からの食事に障害があるだけで長期入院されている患者に利用できる。
手技はたやすい。合併症や説造後のトラブルの可能性も多い。

◆中心静脈栄養法
多くの場合、鎖骨下静脈からカテーテルを挿入し、心臓に近い中心静脈から投与する(先端を右心房の近くに留置する)方法。
高濃度の栄養素を投入することができるため、中心静脈栄養法のみで生命を維持するための栄養素を投入出来る。
手技はやや技術を伴い、長期の絶食が可能だが、感染などのリスクを伴う。

◆抹消静脈栄養法
腕などの静脈に点滴で栄養素を投入する方法。
高浸透圧の輸液は抹消血管では血管炎を起こすため使用できない。
従って、生命を維持するための栄養素を投入出来ないので、長期間の絶食はできない。
手技は容易であり、合併症は少ない。

一時的に上記の方法を利用して回復に至るのなら良いですが、多くの場合は続行せざるを得ないことがほとんどです。
24年前に癌で母が亡くなるときも上記の中心静脈栄養法を取りました。
植物人間のような3週間を過ごし、亡くなりました。

元気な時に、本人の確認を得て行うのであれば良いけれど、状況からして患者本人の承諾を得られない場合がほとんどで、これは「終末期医療」「尊厳死」と切っても切れない関係の重要な選択肢だと思います。

「終末期医療」「尊厳死」については、また別の時に書いてみたいと思います。

父も遅かれ早かれ、上記の栄養法のいずれかを選択しなければならない時が来るかもしれません。

父は認知症初期の頃から、「体に色々管をくっつけてまで生きながらえたくはない」「コロッと死にたい」と言っていました。
私自身も父には、生かされて生きるよりは自然体で生きていてほしいと思っています。
しかし、そう思う気持ちが強い反面、いざとなると様々な生きるための手段を取ってしまいそうな気もします。
父が生きていてほしいと願う気持ちと、父自身の気持ちと、どのように踏ん切りをつけたら良いか、今はまだ答えが出せません。

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