介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第67回 認知症中期のタクさん その8(鍵で閉じ込め作戦)

「認知症中期のタクさん」シリーズの前回までで、先にデイやショートのことを書きましたが、まだ介護保険利用のきっかけを書いておりませんでした。
前後しますが今回はその利用のきっかけになった父の徘徊のことを書きます。

「タクさんの病歴と経過」(年表)を見るとわかりますが、1999年秋(認知症発症6年)に「初めての迷子」事件が起きた以外は1997年から2001年にかけて認知症の進行はゆっくりで、日々細々としたことはありましたが目立って大きな出来事もなく過ぎました。

父は勝手に外へ出ることもなく、日中の2時間ぐらい父の所へ通い家事をしたりして、夜間は同居の弟がいるので何とかなっていた日々でした。
そんなわけで、父のことを四六時中見ていなくても大丈夫だろうと思った私は家の事情もあって、日中の短時間にアルバイトを始めました。

ところが「認知症中期のタクさん その1(使い始めた紙オムツ)」に書いたような出来事が2001年秋(認知症発症8年、80歳)に急に勃発し、その後は急速に認知症に特徴的な「徘徊」も始まりました。
「徘徊」と言ってもまだ「徘徊しそうになった」未遂の出来事止まりでした。

私がいない時、父が外に出ようとしたところを父のマンションの管理人さんが声を掛け、徘徊は未遂に終わったことが何度か。
管理人さん曰く、「どこへ行くの?と聞いても何だかどこへ行くのかよくわからない返事していたよ。
お父さん、ボケてきたんじゃないかい?」と。

父がこのマンションに引越して来たときに、管理人さんに父はボケていると伝えてあったのに、それまでは父のボケ具合に管理人さんは気付かず、私が父のボケを伝えていたことは忘れていたようでした。
他人に対しては何も問題ないような態度を父は取っていたせいでしょう。

そのため弟と相談して玄関ドアに外からしか開けられない鍵を取り付け、可哀想ですが家の中の父には開けられないようにしました。
これは父に何かが起きても閉じ込め状態ですからどうしようもなく、本当に父には申しわけなく思いました。
しかし、この年から私はアルバイトを始めたばかりで続けたかったこともあり、私がいない時間は父に安全な家の中にいてもらうしかありませんでした。

玄関ドアの鍵付近に傷跡があって、ガチャガチャいじって何度も開けようと試みた父の様子が伺えました。
家の中は父が一人でも安全なように気を配りましたが、鍵で閉じ込めは何かと危険な状態でした。

失禁も始まり、このままでは限界だと思いました。
それまで殆ど介護の本などは読まずにいた私ですが、この頃から認知症介護の本などを買って読むようになりました。
父に対して本気で取り組む気持ちが芽生えてきました。

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