介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

戻る

第56回 認知症中期のタクさん その2(トイレ三昧の日々)(2006年9月9日)

前回に引き続きトイレのこと、パート2。
今回は失禁が始まり紙オムツ常用になってからのことを色々まとめて書いてみました。

【紙オムツ】
●当初数カ月は安売りで買ってきた紙パンツでしたが、
 結構費用がかかる上、持ち帰りにかさばるので(自転車で運ぶので)、市が提供している無料紙オムツのサービスを利用するようになりました。
 素材は悪くなく、一般市販品と変わりなかったです。
 父の市では(市によってシステムは違う)要介護3以上で月50枚現品直接配達システムで、たまに買い足すことがありましたがほとんど足りました。
 父と同居ではありませんし、私がいないときに届くので、マンションの管理人さんに受け取りの印鑑と預かりを依頼しました。
 (宅配ボックスがないマンションだった)

●紙パンツ常用でも日中は普通にトイレに行き用足しをします。
 紙パンツは濡れていますが、たっぷり吸収タイプの紙オムツなら
 取り替える回数は普通は朝と寝る前ぐらいで大丈夫でした。

●朝起きたときの量が半端じゃなく大量で、パジャマやシーツ、寝具類まで
 濡れてしまうことが増えました。
 紙オムツと併用する「部分パット」はズレたりして具合が悪く、使いませんでした。

●漏れるのでメーカーの紙オムツの相談コーナーに相談したこともありました。
 相談したのでサービスオムツ(試供品)が届きました。

●防水シーツは何枚か用意して交代で使用しましたが、洗濯したとき乾きにくいし、
 干すのに場所を取るので、紙オムツと同素材の「使い捨て紙シーツ」を二枚重ね(ずらして幅広く敷く)して使いました。
 知っているだけで二つのメーカーで出していましたが、安くて使いやすい某メーカーのを使っていました。
 ただし、どこでも売っているわけではありませんでした。

●男性なので掛け布団が濡れることが多いので、掛け布団保護のため
 冬でもタオルケットを必ず使用、洗濯しやすいタオルケットで尿を吸収するようにしました。

●使い捨てシーツを使ってもシーツが濡れることが多く、
 シーツやタオルケットの洗濯など毎日の洗濯量が相当増えました。
 晴れていれば消毒も兼ねて頻繁に布団干しもしました。
 私の自宅から朝、父の家へ通い、父をデイに送り出しながら洗濯と布団干しをして、その後アルバイトの仕事に出掛けるので忙しかったです。

●洗濯機を頻繁に使うせいか故障して、マンション階下のお宅に水が漏れ、
 大変なご迷惑をかけてしまったこともあります。

【頻尿】
●父はおもらしを心配して、それまで以上に頻繁にトイレに行きたがるようになりました。

●通院先の病院や医院でも待ち時間には必ずトイレに行きますが、
 長く待ってやっと診察になったときにもトイレに行きたがり、診察を中断してトイレへ行くこともありました。もちろん、トイレには私が付き添います。

●私と一緒に近所を散歩している時にも必ず外で立ちションしたがり、仕方なくさせました。
 まるで犬のマーキングみたいでした。

●デイでは誘われてもあまりトイレに行きたがらなかったようでした。
 そのせいか、デイから帰り、送迎車を降りた途端、トイレに行きたくて我慢できなくなるほどでした。
 「濡れてもいいパンツだから、このまましちゃっていいよ」と言ってあげることが多かったです。

●デイに通うようになっても、入浴は自宅でしました。
 父は私以外の人の介助だとスムーズに入浴できないと思ったからです。
 入浴前にトイレに行くのですが、入浴中も排尿が我慢できない事があり、風呂場でもよくしました。

●頻繁にトイレに行きたがるのはそそうをしたくないためのようで、
 気分の問題なので出る量は少なめでした。
 トイレのことが気になり、ふと考えると行きたくなるようでした。

【排便】
●排便はトイレでしましたが、昔からの習慣でトイレットペーパーを節約するためか
紙を少ししか使わず、しかも丁寧に折りたたんで使っていました。
紙を少ししか使わないので手を汚すこともあって、手伝ってあげるようになりました。
排便したら必ず私を呼ぶように言いました。ウォッシュレットの使い方がわからないので、「これをすると手を使わずにシャワーでお尻が綺麗になっていいよ〜」と必ず言って始末を介助しました。
毎回それは何か聞かれ、その度に説明しました。
ほとんど嫌がらずにウォッシュレットを使いましたが、たまに機嫌が悪いと嫌がり、すぐ立とうとしました。

●通院先の医院のトイレで長々トイレに立てこもっていたこともありました。
なかなか便が出なかったようです。
ドアの外から声を何度もかけましたが、父は便が出るまで納得できずに30分近く入っていました。
自宅なら構いませんが、出先でもお構いなしなので困りました。

●排便が納得できるまで長丁場トイレにいるので、
朝、デイの送迎車に間に合わずに別便の送迎車に来てもらうことも増えました。

●よくある「便をもてあそぶ」ということは、父の場合ありませんでした。
排便は二日に一回程度で必ずトイレでしてくれましたし、
何かあってもすぐ気付くようにしていましたので。
一度だけ、私がいないときにトイレで排便して、なぜかトイレの壁に汚れた手で触ったらしい跡がついていることがありました。

●排便の感覚は認知症の中期はしっかりしていました。
でも、何かの加減で2回ほどデイ帰宅時に下痢便を紙オムツにしてしまっていたことがありました。
臭いでわかりますから、風呂場に直行。下半身シャワーで綺麗にしました。
お尻が気持悪いでしょうに、全然本人は気付いてなくてケロッとしていました。

【トイレ認知困難】
●認知症中期も後半になると(2003年頃、認知症発症10年)、
トイレの使い方がわからなくなってきました。
外出先の男性用トイレの立ちトイレの使い方がわからなくなり、私がそばで「立ってここにするのよ」と介助するようになりました。
自宅のトイレも便器のどこにしたらいいのかわからなくなりなり、「こっちに向いて座るのよ」「ここにしていいのよ」と介助が必要でした。

●自宅で私がいない時にトイレの場所がわからなかったのか、間に合わなかったのか、
父がいつも居るキッチンの窓際に排尿してあることがときどきありました。
幸い、ほかの場所にすることはありませんでした。

●排尿の感覚があった時には、すぐ出てしまうようでした。
排尿を我慢することができないようでした。
トイレに間に合わないのはそういうわけでした。

●失敗しても何でも、苦労は多かったですが、
認知症中期は「排尿排便感覚がしっかりしていた」ことは良かったと思います。
現在(認知症後期)は、排尿排便感覚も滅多に訴えませんから、赤ちゃんと同じようです。
寂しいです。

親ケア.comオンラインサービス「繋がる」
おやろぐ