介護日記・二人の父の雑記帳 第51回〜

【第55回】認知症中期のタクさん その1(使い始めた紙オムツ)(2006年9月8日)

シリーズ初回に書きましたが、タクさんの場合は次のように分けました。

◆初期(1993年~2001年後半 72歳~80歳)
   ・・・失禁がない頃まで
◆中期(2001後半~2004年後半 80歳~83歳)
   ・・・失禁が始まり、徘徊など目立った行動があったが元気だった時期
◆末期(2004年後半~ 83歳~)
   ・・・会話が成り立たなくなり、体力の衰え(現在はこの時期)

1999年秋(認知症発症6年、78歳)にタクさんは初めて迷子になりましたが、その後しばらくは目立った事件もなく過ぎました。
2001年春に脱水症状で救急車を呼び、日帰りで点滴する事件がありましたが、2001年秋までは穏やかな毎日でした。
穏やかと言っても認知症ですから、それなりに私を悩ませるような行動の数々はありましたが、それらはまた折に触れ書いてみます。

外出好きな父でしたので一日中家に居ることは籠の鳥で嫌だったのがよくわかっていたので、父の家の近くにある公民館の高齢者の教室に通わせようと思い立ち、問い合わせてみました。
しかし、健常者の教室は私がずっと付いていなければダメそうだったので諦めました。

けれどこれがきっかけで、前年(2000年)に導入された介護保険制度で、認知症の人には家族の付き添いがなくても可能な「デイサービス」というものがあることがわかりました。
それまで私は何かと面倒なので、介護保険制度のことを知る気もありませんでした。

2001年夏(認知症発症8年、80歳)、父は穏やかで認知症もこれ以上進行しないかと思われました。
前年から介護保険制度が始まり、これを利用しなくてはならない時が来るかもしれないと思い、父が通院していた病院の精神神経科で初めて認知症の診察を受けました。
病院での定期健診だと偽って父を連れて行きました。
通い慣れた病院だったので、父も素直について来てくれました。
結果、思っていた通り「アルツハイマー型の認知症」で、かなり進んでいると言われました。

その年の秋(2001年、認知症発症8年、80歳)、それまでなかった「失禁」が突然始まりました。
それまでは、どんなことがあっても、まだ失禁がなかったので良かったのですが、いつその時が来るかと不安に思っていました。
父と同居の弟が居る時間の夜間や早朝に発覚することが多かった気がします。

濡れた肌着は脱ぎ捨てられて、父の部屋の片隅にあることが多く、そういうときは肌着のパンツなしで直接ズボンを履いていることが多かった覚えがあります。
決して叱るようなことはせずに、何食わぬ顔で対応しました。
まだ最初は毎日ではありませんでしたが、1カ月位経つとほぼ毎日になり、紙オムツ(リハビリパンツ)を常用しなくてはならなくなりました。
父は紙オムツだという認識が全くなく、普通のパンツだと思って嫌がらずに履いてくれました。
もちろん、「紙オムツ」という言葉は父の前では禁句でした。
紙オムツを履いていても、日中はほとんど自分でトイレへ行ってちゃんと用を済ませることができました。
ただし、トイレのドアには「トイレ」と書いた張り紙を付け、「トイレはこっちよ!」と誘導は必要でした。

その後、特に早朝はトイレに行かず(トイレは父の部屋のすぐ隣)、父のベッドの傍にあるゴミ箱に排尿することが増えました。
トイレに間に合わないことと、すぐ隣でもトイレの場所が分からなかったためと思われます。
父の様子次第では、夜中に父の向いの部屋で寝ている弟が起きてトイレ誘導することもよくあったようでした。

もっと後には、洗面所の洗面台や風呂場に排尿することもしばしばありました。
一方、排便の方はそそうすることもなく、基本的にトイレで自分で済ますことができましたので助かりました。

この頃、父は「下(シモ)の世話にはなりたくない」とよく言っていました。
すでに世話になってることも気付かずに…(^-^;;

[参照]
>タクさんの病歴と経過 その1
>タクさんの病歴と経過 その2

【第56回】認知症中期のタクさん その2(トイレ三昧の日々)(2006年9月9日)については、こちらへ。

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