介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第51回 認知症初期のタクさん その7(番外編)

前回「その6」で初期編を閉めると書きましたが、
その頃の私のことを中心に「番外編」を書いてみます。

◆もやもやした気持ち
このもやもやした気持ちとは私のことです。
父の面倒を看始めた頃、「あんな父の面倒なんか看たくないのに」
との気持ちの葛藤がありました。
父は男尊女卑、長男(跡取り)第一主義の昔流の人で、弟のことを子供のときから可愛がり(そのため甘やかし)、私のことは常に厳しく、反抗気味な私を丸めた新聞紙で叩くなど、すぐに手が出ました。
弟は叱られたことも叩かれたこともありませんので、幼い頃から、そんな父に対する不満は積もり積もっていました。
何についても「お姉ちゃんだから」と我慢させられ、私は欲求不満でした。
成人してからは仲の良い親子になり一応親孝行な娘?になりましたが、大人になってもあらゆる部分で私と弟とに対する待遇の差は歴然でした。
それでも、父の認知症の症状と毎日対面していると、長い間の父への不満も薄らいでいきました。
過去がどうであれ、今父がこんな状況なのだから、過去の不満など引きずっている場合じゃないと徐々に思うようになっていきました。


◆弟が心配
父は認知症初期の時期は、考えもそれなりにちゃんとしていました。
独身の弟のことの結婚や先行きのことなど色々心配していました。
私によく「お前はしっかりしているから大丈夫だが、弟のことが心配だ」と言っていました。
「お父さんが亡くなったら、この家はお前にやるぞ♪」
と言ってくれましたが、根拠のないことでした。
それでも、そんな言葉に嬉しくなった単純な私は、いつ自分の物になってもいいように、せっせと父のマンションの掃除にいそしみました。


◆通い介護の秘訣
いくら自転車で10分の近くに父に住んでもらったとはいえ、毎日通って面倒を看るのには父と同居の弟がいたから成り立ったのです。
夜と日曜などの休日は弟がいたから安心して父のことを任せられました。
この頃、夜間ごそごそ行動することの多かった父に、同居の弟は夜ぐっすり寝られなかったことでしょう。
また、私と弟は父の対応の影響もあって仲がよくない兄弟でしたが、父の介護を協力しあってしなければならないことで、お互い口も聞きたくない仲でしたが、そうは言っていられなくなりました。
父の認知症が兄弟の結びつきに導いてくれたのです。

◆通い介護の長所
長所はもちろん、父の家に行かない時間は確実に自分の時間として取れることでした。
認知症は良くならないことがわかっていたので、父の状態がまだ軽い今のうちに色々楽しめることは楽しんでおこうと考えました。
そのうち、そんなこともやっていられない時がきっと来るから…事実、後年そうなりました。
父の状態はまだ四六時中見守りをしていなくても大丈夫だったので、私は自分の趣味などを続けました。
Windows95が出てパソコンブームになり、私は自分のパソコンを買ってホームページまで作り、ネット依存症になったのもこの頃でした。
音楽系のHPだったので、記事を載せるためにコンサートなどにも通いました。
今は成人した息子ですが、この頃はまだ小学生だったので夏休みなど家族で旅行にも行きました。
それも皆、父が弟と同居だったからできたことだと思います。

◆通い介護の短所
自宅から父の元に通う形ですから、通勤していると同じようでした。
毎日通っていても賃金が貰えるわけではなく、むなしい…
これが仕事だったらお金になるのに…と思うこともありました。
同居と違って、何があっても「行かなくては事が済まない」わけで、行き来することを含めた余計な時間が必要になります。
通院などお出掛けがあるとき、父は自分で準備できないので、着る物・持ち物などの準備を含めた余計な手間が同居の場合よりかかりました。

◆食事のこと
父が一人の時間の食事については以前も書きましたが、前日に電子レンジで温めれば済むものや冷蔵庫から出してすぐ食べられるものを用意して「○○日の朝食用 レンジで2分温めてね」などと全ての食べ物にメモを付けました。
父がいつもいるキッチンの席のそばにその日の食事一覧を書いて、その食事のある場所も書きました。
時々食べてなかったりしましたが、認知症初期の頃はそれで何とか済みました。
私は食事作りが昔から苦手だったので、買ったお惣菜やお弁当にすることもよくありました。

◆散歩
「狭い家の中に一日中閉じ込めておいて!!」と父は時々怒ったものでした。
それで、天気が良い日には近所を一緒に1時間半位散歩しました。
その頃は足取りも良く、とてもよく歩いてくれて、父と共に楽しい時間を過ごすことができました。
父が大きな声で家々の表札の名前を読み上げるのには困りました。
今思うと、まだ字が読めたわけですし、父は文字を読むことを確認する行為だったのかもしれません。
また、道端の花の名前などもよく聞いてきました。教えてもすぐ忘れちゃうのに…と思いました。
今思うと、まだ物に関心があっただけ良かったことでした。

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