介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第48回 認知症初期のタクさん その6(忘却の彼方の妻)(2006年9月1日)

そろそろ「認知症初期のタクさん」シリーズをとりあえず閉めようと思います。
次からは、いよいよ本格的な「認知症中期のタクさん」に的を絞ってみます。
シリーズ初回に書きましたが、タクさんの場合は次のように分けました。

◆初期(1993年~2001年後半 72歳~80歳)
   ・・・失禁がない頃まで
◆中期(2001後半~2004年後半 80歳~83歳)
   ・・・失禁が始まり、徘徊など目立った行動があったが元気だった時期
◆末期(2004年後半~ 83歳~)
   ・・・会話が成り立たなくなり、体力の衰え(現在はこの時期)

父の場合、失禁があるかないかで分けたせいかもしれませんが、初期が8年間と非常に長く、この期間の進行が緩やかだったのが特徴と言えるかもしれません。
この時期は日常生活はある程度こなせるけれど、「物忘れの時期」ということに尽きると思います。


◆妻のこと
父の物忘れで特徴的だったのは、妻のことを早い時期から全く覚えていなかったことです。
結婚生活30年の時、妻は病気で先立ちましたが(死別後、認知症になるまで約11年)、30年も連れ添ったのに早くから忘れてしまったのです。
これは私にとっても寂しいことでした。

妻が亡くなる時には献身的に尽くしてたのに。
妻の写真を見ても誰だか全くわからない。
妻の名前を言っても覚えがない。
「結婚してたかな??」と、言う父。
自分の母親や父親の話はよくしていたのに。
妻の母親のことも気になって話題に出たというのに。
同じ時期、親戚の人を写真で見て名前が言えたのに。
以前、お隣さんだった方の名前が言えたり消息を気にしたりするのに。
亡くなった可愛がってた犬のことは覚えているのに。

ある介護職の方が「忘れてしまうほほど、妻への想いが強かったってことでは?」
とおっしゃいました。そう思いたいですが…。

◆出掛けたとき
初期の頃は、私と一緒によくバスやタクシーに乗り通院がてら、あちこち出掛けました。
バスに乗ると、さっさと空いている席に座ろうとしました。
まだ「さっさ」の動作ができた頃でしたから。
父は昔から図々しいところがあって、「誰より先に」が好きで、のろのろしたのは大嫌いでした。
でも、慌てなくても大抵誰かが席を譲ってくれました。
そんな父ですが、傍で私が立っていると「大丈夫か?荷物持とうか?ここに寄りかかっていいよ!」など、優しい面もありました。

バスで席に着くとまず「持ち物点検」が始まります。
財布やシルバーパスの確認で出したり仕舞ったり、それでかえって落としたり。
「ちゃんと持って来ているから大丈夫よ♪」と言っても、点検を繰り返して外の景色など眺めたことはありませんでした。
それでも、「次降りるよ」と言うと、降りる準備はすぐできました。
今は、そうはいきません。

タクシーに乗ると「お金は??」と口に出さず指サインで必ず示すので、「私が払うから大丈夫よ♪」と。これの繰り返しでした。
お金については、何かと心配だったのでしょう。

[参照]
>タクさんの病歴と経過 その1
>タクさんの病歴と経過 その2

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