介護日記・二人の父の雑記帳 第1回〜

【第37回】認知症初期のタクさん その2(初めての迷子)(2006年8月23日)

1999年秋に急性気管支炎で12日間入院し、退院後9日目。
穏やかな生活をしていたタクさんが初めての迷子(徘徊?)になる事件が起きました。

この日は退院後の初診察日でした。
経過良好で通院の必要なし、とのことでいつものように病院の食堂で昼食をとり、その後、父とよく行く大きな本屋に入りました。
父は本が好きなので本屋に長居することが昔から多かったのです。
そのため、私は父を本屋で待たせて、近くの店でちょっとした買い物を済ませて来ることが時々ありました。
この日も「すぐ戻ってくるから、それまでほかに行かないでこの店で待っててね」と言って、10分位で戻って来たのですが、父は店内のどこにもいませんでした。
午後3時頃のことです。

繁華街というほどではありませんが、駅前で人通りはかなり多い所です。
父が立ち寄りそうな周辺の店を探し回りましたが見当たりません。
すぐ近くの交番に届けましたが、当てになりそうもないので再びあちこち探し回りました。
自宅にいた息子に電話で父が迷子になったことを伝え、暗くなった午後6時頃までその街中を探し続けました。

すると6時過ぎ、息子から私の携帯に父がさっき家に来たと連絡が入りました。

自宅に戻ると、父は何事もなかったかの様子でした。
ビックリしましたが、怪我もなくホッとしました。
父を一人にして待たせた私が悪いのですから、父を叱り付けたりするようなことはしませんでした。

息子の話によると、普通に「こんばんは!」と来たそうです。
父に、はぐれてからどうしていたのか?どうやってここに来たのか?尋ねましたが、
困ったような顔で「何も覚えていないんだよ。ちょっと飲み屋で一杯引っ掛けて来たかもしれないな~♪」と、父は照れ笑いしながら言いました。

外出時、父のショルダーバッグの財布にはそこそこのお金を入れてありましたが(私が管理していた)、この頃は買物の支払いもおぼつかなかったので、買物やバスや電車に乗ることを父一人にはしませんでした。
私とはぐれた3時間を、一体父はどのように過ごしていたのでしょう??

父とはぐれた駅前の本屋から我が家へは、バスを約10分乗った終点から2~3分歩いた所です。
通常、この駅から歩いて我が家に行くことはまずありえない距離でした。
父には道もわからないでしょう。

父は自分でバス停を探し、バスの支払いをして、またはシルバーパスを見せて一人で乗り降りしたのでしょうか?
いえ、できそうにありません。

父のマンションは私の家へ行くバス路線の途中にありましたので、そこのバス停で降りずに乗り続ければ終点の私の家に向かうことになるわけです。
認知症になる前に、ときどき我が家に来ていましたが、車で来ることが多かったのです。
認知症になってから来たことはなかったはずですが、昔の記憶で道順を覚えていたのでしょうか?

父が言うように飲み屋で一杯引っ掛けて、酔いが回っていたのかな?そんな顔もしていたし…??
でも、後になってみると、飲み屋説は「記憶喪失」の自分を自己弁護するための作り話か、「記憶喪失」の原因を飲み屋だと思い込んでいただけかもしれません。

認知症の人は、自分を正当化して正常に見せるため(プライドがあるので)の作り話をすると言います。
家族には認知症の症状出しまくりでも、他人には何事もないかのように、しっかりした態度を見せる特徴があります。
父の飲み屋説はそういうことだったのかもしれません。

事件は突然起きるものなんですね。
今まで大丈夫でも、急に変化が起きるものだと思い知りました。
とにかく、父一人で待たせることは絶対にしてはならないと思いました。
その後は、父との外出先で私だけトイレに入ることも、ままならなくなりました。

[参照]
>タクさんの病歴と経過 その1 
>父の認知症の兆候  
>ボケたタクさんの元へ通い始めた頃
>ボケたタクさんの元へ通い始めた頃 その2(物忘れ)
>ボケたタクさんの元へ通い始めた頃 その3(まだ何でもできた)
>認知症初期のタクさん(入院はこりごり)

【第38回】認知症初期のタクさん その3(最愛の姉の死)(2006年8月24日)については、こちらへ。

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