介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第32回 ボケたタクさんの元へ通い始めた頃 その2(物忘れ)

前回(先週)は、1994年にタクさんを私の家の近くに引越しさせて、私がタクさんの元へ通い始めたところまで書きました。
今回はその続きです。

[参照]
>タクさんの病歴と経過 その1 
>父の認知症の兆候  
>ボケたタクさんの元へ通い始めた頃

ボケたら環境をあまり変えない方が良いと言われますが、父の場合は引越しして環境が変わりましたが、認知症に関する影響はなかったと思います。

引越した当日はボーッとしていましたが、引越し業者が居なくなると、落ち着いて引越ししたことを実感したのか、父は私と一緒に何日かかけて片づけをしました。
部屋の間取りは違っていても、父がよく使う家具などは同じ物で、父の部屋もあるし、前の家と環境を同じようにしたせいか、すぐに新しい環境に馴染んでくれました。
多分、父の場合、その頃は認知症がさほど進んでなかったからかな?とも思ったのですが、人それぞれかもしれませんね。

電話もワンタッチ登録して使いやすくしたせいか、今度は前の家にいた頃と違って頻繁に私に電話してくるようになりました。
日曜などを除いて、ほぼ毎日父の元に通っていたのですが、よく電話してきました。
その内容は…

「おい!貯金通帳が見つからないんだけど、お前知らないか?」
「○○に仕舞ってあるはずだけど…」と私。
「それがないんだよ!お前持って帰ったんじゃないのか?」
「持って帰ったりしないよ」と私。
「いくら探してもないんだ!お前、お父さんの財産狙ってるんだろう!!」
「そんなー!お父さんの財産狙ったりするわけないじゃない!!」と私。
「いや、わかったもんじゃない!!お前ならやりかねない!!」

そんなやり取りが何回かありました。
そんな時の父の声はとても怖くて、私が何か言うとますます逆上するし、私は電話がある度にブルブル震え上がっていました。
昔から私には厳しい父で、子供の頃は殴られたこともよくあって、その時と同じように怖い声でした。
このような症状が認知症の人によく起きることだとは、その頃の私は知りませんでした。

父の元へ行って貯金通帳のことを聞いてみると、何事もなかったかのように穏やかでした。
一緒に探してみましたが、電話でのように私を疑って逆上することはありませんでした。
後になってわかったことですが、貯金通帳は父が失くすと心配だったからと、父と同居の弟が別の場所に隠しておいたのでした。

とにかく、家の中で物を失くすことは頻繁にありました。
物をどこかの奥に仕舞い込んで忘れてしまう…なので見つからなくなり、失くしてしまう…それで、物を探し回ることで父の大半の時間が過ぎていく、ということばかりでした。
元々持ち物が多かった父でしたが、以前のように物を整理することができなくなり、引き出しの中は私が整理しておいても、すぐゴチャゴチャになっていました。
物が多過ぎて片づけができなくなったからかな?と思っていましたが、これも、父に限らず認知症の人に多いことだと、後になって知りました。
片付けができなくなったこともありますが、認知症の症状として「物がどこにあるのか確認する作業」をしているうちに、物がゴチャゴチャになる…ということのようでした。

ただ救われることは、貯金通帳の件では電話で酷く私を疑っていましたが、他の物を失くしたことに関しては、私を疑うことはほとんどなかったように記憶しています。

この頃、父の家へ行く前に、今から行くからと必ず電話していましたが、父は「そんなに急いで来なくてもいいよ」などと、いつも遠慮気味に言ってくれました。
そして、私が行くと必ず玄関まで出てきて「よく来たな!いらっしゃい!」と笑顔で出迎えてくれました。
ほぼ毎日来ているのに、いつも「よく来たな!」って、久しぶりに来たみたいな言い方をしてくれてました。
そして「まぁ、ゆっくりお茶でも飲んで休んで…」と、まるでお客さん扱いでした。
多分今までの遠くにあった家に、私がはるばる来たという感覚だったのでしょう。
それが認知症の症状の特徴だということは、当時認知症についての知識が乏しかった私でもわかっていました。

今振り返ってみれば、まだこの頃は平和な時期でした。

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