介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第31回 タクさんと戦争(2006年8月16日)

8/15は61回目の終戦の日でした。
かつて、TVで第19回終戦の日のニュースを観ながら、「そんな昔に戦争が終わったんだ~」と小学校高学年だった当時の私は思ったものでした。
この年は、日本全国が沸き立った戦後日本繁栄のシンボル「東京オリンピック」が間もなく開催されるという年でもありました。
私が日本の太平洋戦争を認識し始めたのはこの頃です。

その頃、特養の父タクさんはTVで「戦友」というドラマ(太平洋戦争で中国へ出兵した日本陸軍部隊の戦場のノンフィション)を毎週観ていました。
暗く重たいドラマでしたが、その割には子供にもわかりやすく、私は結構惹かれて一緒になって観ていました。
中国内陸部に陸軍が攻めていった様子がよくわかり、その頃の中国人民の生活の様子も伺えました。

タクさんは主題歌の「戦友」(軍歌)をTVに合わせて歌っていました。
ついでに、他の軍歌もよく歌っていました。
認知症になってからも、覚えている軍歌をよく歌い、私に教えてくれました。

軍隊は父の青春時代の出来事です。
最も語りたい青春の思い出とは、父の場合戦争と軍隊なのです。
軍歌を懐かしく歌いたくなるのも、父にとっては青春が戦争だったからです。

タクさんは、陸軍で中国内陸部の戦場に行った人でした。
父の場合は当時の家の事情で、行きたくない戦争でしたが「志願して」兵隊になったのです。
志願兵の場合、いわゆる赤紙召集の人より年齢が若いことが多いそうです。
「徴兵検査で甲種合格だったんだぞ!」と自慢気に言っていました。

出兵する時に家族揃って撮った写真をみると、若々しく凛々しいタクさんが写っていました。
多分、二十歳ぐらいのことだったと思います。
もう戻って来れないかもしれないと覚悟を決めた家族写真です。

父は戦争に行った話をよくしました。
子供の頃の私は「またか…」と、うんざりしながら聞きました。
認知症になってからも語ってくれました。
私は聞き逃すまいと思って聞きましたが、同じ話の繰り返しで、もう昔ほどくわしく話さなくなりました。
父が認知症になる前に、もっとちゃんと聞いてあげれば良かったと思いました。

***     ***     ***     ***

中国内陸部は乾燥した砂漠地帯で、時折物凄い突風の嵐になる。
目の前がまっ茶色になって何も分からなくなる。
あんな場所を、来る日も来る日も連隊で歩いて移動した。
酷いものだった。

自分は幼い頃からお腹を壊しやすい体質で、戦場でもよくお腹を壊し辛い思いをした。
しかし、弱音は吐いていられない。
しかも「ぢ」になり、どうしようもなくなり野戦病院で麻酔もなく手術した。
そんな手術のせいで、戦後も「ぢ」の具合が悪く大変だった。

軍隊には自由が全く無い。
上官の命令に背けば銃殺だった。
皆と素早く行動を共に出来ない者も殺された。
ことあるごとに、上官から往復ビンタが飛んでくる。
虐めと同じ。でも、反発は絶対許されない。
どんなことがあっても、歯をくいしばって頑張るしかない。

食べ物もない。
喉はカラカラに渇く。
泥水を飲んで生きながらえた。

自分も多くの人間を殺し、死んだ人間を数多く見てきた。
殺すことを何とも思わなかった。
あんな場所でよくぞ生きていられたもんだ。
よくぞ生きて帰って来れたもんだ…(涙を流しながら)

そして、気合の入った素早い動作の軍隊式敬礼!
銃の持ち方、構え方をパッパッとやって見せる。

父の三人の弟のうちの一人は海軍だったが、船中で病死した。
19歳。水兵服姿の若々しい写真が残っている。

***     ***     ***     ***

すでに亡くなった私の母は、今生きていれば今年77歳になります。
母からも戦時中の話は時々聞いていました。
母の同年齢の男性は、特攻隊でもなければ、戦時中の辛い体験はあっても戦争に行っていない年齢です。
現在80歳以上の男性が直接戦地に赴いた世代です。
父の戦友もここ数年、亡くなったとの知らせが続くようになりました。

以前もコメント欄で書いたことがありますが、戦争の辛い体験をした世代が今のお年寄りです。
その人達の青春が戦争で犠牲になり、その人達の懸命な戦後復興のお陰で今日の日本があるのです。
お年寄りを見るとき、それを忘れてはいけないと思います。

そして、実際の戦争体験の話を親子でできる最後の世代(最後と思いたい)が、父と私の世代(80代と50代)だと思うのです。
戦後61年。
戦争は、はるか昔のことになってしまいました。
でも、私は父や亡き母から聞いた戦争の話を思い出します。

直接戦地に赴いて苦労した父を、認知症なんかで老後を終わらせたくない。
私は父のために何をしてあげられるか…。
父が生きた証を、「認知症になってしまった人生の最終楽章」は私の手で残してあげたい…。
その一つが、このブログかもしれません。

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