介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第29回 また介護疲れの犠牲者が…(2006年8月13日)

また、重い内容になってしまいました。
昨日、8/12(土)の新聞に前橋での介護疲れ?の父と息子の死亡記事が載っていました。

2年前から脳梗塞で寝たきりになった父親(80歳代)を息子(50歳代)が一人で介護。
電話連絡が取れなくなった息子の妹が家を訪ねてみたら、父親は布団の中で亡くなり、息子は首を吊って亡くなっていた。
数日前に、「介護に疲れた」と兄から妹に電話があったそうです。

最近では、哀しいことにこのような記事が珍しくなくなっています。
そのケースのほとんどは「息子」が親を一人で介護するケースです。
男性が一人で親を介護するのは、経済的にも環境的、心情的にもいかに難しいかということでしょう。

最近では京都での息子と母親の介護殺人の裁判が話題になりました。
京都の場合もそうですが、追い詰められていく状況など、大変痛ましく、情状酌量の部分が大きいのはもっともだと思います。

しかし、どのケースを見ても、事情は色々あると思いますが、介護にあたった息子が行政や介護保険などについて、もっと積極的な知識や働きかけがあれば、ここまで切羽詰ったことにならなかったのではないかと悔やまれます。

私の父タクさんの場合も、父と息子(私の弟)の二人暮しでしたので、私の関与がなかったら弟の性格上、父子介護殺人に至ったかもしれません。

私の父の場合は、以前語りましたが(参照→ボケたタクさんの元へ通い始めた頃)、父と弟だけにしておけないと判断し、同居はできない事情があり、遠くに住む二人を近くに引越しさせて、そこに私が日中通って介護する方法を取りました。
通い介護は良い点も悪い点もあります。
特に認知症が進むと通い介護は厳しいものでした。

父の認知症が進むに従って通い介護が大変になってきたこともあり、私は介護保険について知識を積極的に得ました。
それを上手く利用して、介護する負担をなるべく減らすことを考えました。
介護者が心身共に健康でなければ介護は務まりません。
家族でできることできないことを判断し、無理な部分は行政や介護保険の力を借りて在宅介護を続けました。
私の父の場合は介護保険単位数をオーバーするほどにまで利用しましたが、経済的部分は何とかなったのでやってこられました。

もし、経済的な部分が困窮していたら…。
いくら行政や介護保険の知識があっても、介護者の負担を軽くし、被介護者の状態を考えた介護などできなかったでしょう。
やっぱり世の中は金…なんですね(^-^;;

先程申し上げたように、介護する人は介護の心、知識、判断、そして行政や介護保険を積極的に知って利用することが肝心です。
それと共に「経済的理由でそれらの利用が困難な人のための手段を改めて見直すこと」も、超高齢化社会の現在は必要ではないかと思います。
それが介護殺人を減らすための一つの策だとも思います。

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