介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第15回 父の認知症の兆候(2006年7月25日)

先日「タクさんの病歴と経過 その1」にも書きましたが、特養の父タクさんは今から13年位前(1993年頃)に認知症を発症しました。
兆候はもっと前からあったかもしれませんが、年に1~2度会う程度で同居していなかったので詳しくはわかりません。
私が覚えている範囲で「認知症の兆候」と言える出来事を書いてみました。

1991年に夫の母が亡くなり、葬儀に来た父が帰る時に、酔っているせいもあったけれど、ちゃんと自宅へ帰れるか父の様子に不安を覚えました。
夫にも言われて最寄りの駅まで父を送って行きました。後で聞くと無事帰宅できたようでしたが…。
この時の少し心許ない父の様子が、今にして思うと「兆候」と言えることだったかもしれません。

しかし、最も兆候と思えることは、1993年の夏、息子を連れて里帰りしたとき、事件が起きました。
当時は、必要以上に妙に怒る父だとしか思いませんでした。
後に兆候の一つだと気づいたのです。
いえ、兆候ではなく、認知症の初期症状そのものだったのかもしれません。

きっかけは何だったか忘れましたが、父が妙に感情的になって「72歳の老人を一人ぼっちにして!」うんぬんの激しい説教を私にして喧嘩になったのです。
「今は72歳なんて、まだまだそんな年寄りとは言えないよ!」と、冷たく私は言ったものでした。
確かに当時父は年寄りじみた感じはなく、妻が亡くなってからもそれなりに家事をして、車をバンバン運転し、電車で外出したりして元気でした。

最愛の妻が1982年に病死し(父、61歳)、それまでも一緒だった折り合いの良くない独身の弟と二人で暮らしていた父。
本当は私と暮らしたかったのだと思いますが、家庭の都合もありできませんでした。
大変に可愛がっていた犬が1987年頃亡くなり、1990年に父と親しくしていた父の叔父や従兄弟が相次いで亡くなり、
私と年に1~2回会う程度では寂しかったのかもしれません。
多趣味だった父でしたが、妻が亡くなってからは自然と趣味から遠ざかっていました。
1985年頃、生涯を賭け携わっていたある役職を終えてからは、町内会の役員をやっていたときもありましたが、妻がいなくては張合いがなかったのかもしれません。
生い立ちも関係して、頑固で他人に気を許すようなことがなく、昔から友人と言えるような人もいない。
妻が全ての拠り所だったと思います。

神経質な面があり、頑固、多くの人と交際するのがあまり好きではないなど、世間で言う「認知症になりやすい人の典型」と言えるタイプです。

後で思うと、「72歳の老人を一人にして!」の事件の時、「認知症が出始め」ていたのかもしれません。
認知症の人本人も、発症した時、「今までの自分とは違う自分」に気付き不安が募るそうです。
「72歳の老人を一人にして!」の父の言葉は、認知症が出始めて不安だった父の本当の心の叫びだったのかもしれません。

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