介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第14回 家族の本音(2006年7月23日)

重い話題が続いてしまいますが、イズさんの要介護判定のことがらみで「家族の本音」について、自分の気持ちを整理してみました。

介護保険を利用するにあたり、介護度を基準とした振り分けがなされますが、これが問題点の一つだと思います。
要介護の度合いは個人差や環境もあり、簡単には計りきれないもので、以前から判定の基準に問題ありと言われ、多少の改定がなされてきました。
基準で振り分けた介護度の介護サービスの内容に「要介護者本人の生活理念」や「介護者(多くは家族)の生活理念」が相違する場合、介護認定の時「演技」する必要が出てくる、つまり「介護度を重く計ってもらいたい」要求が出てくるのだと思います。

その理由として、重い介護度の方が介護サービスの選択肢や利用枠が広がる。
軽い介護度の人は介護サービスをあまり必要としないと行政側が判断し、または介護保険の最近の実情として、必要とされては困るから、介護サービスの選択肢や利用枠を限定する。
このような現実があるからで、介護度の振り分けによって生活も変わってくるからです。

私の義父イズさんのように介護度の軽い人は施設でなく子どもと同居で在宅生活をしつつ、介護サービスを利用すれば良いのでしょうけれど、在宅生活できない家庭の都合もあるわけです。
その都合とは千差万別で、「人それぞれの生き方」を介護度の度合いで判別しようとするから、判定時に「演技」する必要が出てくるのですよね。

今まで両父を看ながら、在宅としての介護サービスの利用、各種施設の利用など、色々と検討し模索しつつやって参りました。
特養にいる父に関しては、在宅時代、介護保険の利用限度枠を超えても父や家族の「生活理念」のためできるだけのことはやって参りました。

また、義父の場合は在宅が無理なら「要支援」でも入居できる「ケアハウス」はどうか?とか、「有料老人ホーム」はどうか?とか、さまざまな手段を考えましたが、施設の内容が合わない、思うような施設が足りないなど、思うようには行きません。介護度の振り分けに合わせて生活理念を変えたくはありません。

要介護または要支援になってからの「人それぞれの生き方」は現在の所、余程お金がある人は別として、行政が決めた「生き方」に合わせるしかないのが実情だと思いました。
そんなのってない!そんなの変!何とかならないのか?!
それが「私の本音」です。
介護保険制度は人の「生き方」を介護度の振り分けで決めてしまう、と言ってもオーバーではないと思いました。

今後、益々高齢化社会となり、要介護・要支援のお年寄り(状態によっては若年も含めて)が増えることがわかっているのですから、介護福祉関係の対策について、今のままでは良くない。誰もが安心して老後が送れるような世の中になってほしいです。

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