介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第5回 あの日に帰りたい(2006年7月12日)

7/10(月)、特養の父タクさんの元へ。

「どーしもない、どーしもねーや」が口癖のKさん(女性)は、喜怒哀楽がはっきりしていて優しい方です。
夕食時、Kさんの席は父の正面向側。
Kさんは私達の様子を見て、父に「おとーさん!おねーさんが居て良かったねぇ」と何度も声をかけてくださいました。
でも、父の視線はいつも下向きなので、ぜーんぜん言われたことに気づかない。
いえ、耳はとても良いのですが、言われた意味を理解していない。
私が通訳すると、「良かったねぇ」だけわかったらしく、やっとニッコリ笑顔が…。
父の笑顔は私にとって何よりの喜びです。
父に楽しい気分で居てほしいから、私自身も笑顔で楽しいことを語りかけます。

父に食事を勧めていると、Kさんの「危ない、危ない!」の声。
振り返ると、食事を終えて伝い歩きのSさんの足運びが危なげ。職員さんは奥の入居者の部屋。
思わずSさんの両手を取って歩みの補助を。そして傍のソファに座ってもらう。
が、Sさんはソファにやっと座れても、私の手を強く握ったまま、なぜか立ったり座ったりを繰り返す。
困ったなー、えすえを独占状態だ(^-^;;
そこへ、職員さんが飛んで来て私と交代。良かったぁ。

あわててまだ食べている父の傍に戻って話しかけ、食事を手伝おうとするが父は怪訝な顔。
堅い表情で触るな!の素振り。
今夜も時間はかかってもよく食べ、もうすぐ食べ終えそう。仕方なく放っておきました。
ずっと傍に居て世話を焼いている分には何ともなくご機嫌良い父。
少し時間が経ってから傍に行ったのでは、別の人がいきなり来たと思うようで、警戒し拒否するのだと思う。
よくこのパターンが見受けられます。もともと依存心のかけらもなく、手助けは嫌いな父でした。

ほぼ一日置きに来ている娘の名前も忘れ、顔もわからない父。
これ以上、物事がわからなくなってほしくない。これ以上、言葉が出なくなってほしくない。
だから、娘だとわかってもらえなくても関わりは大切だから、父の傍に行くのに…。

「俺の金を狙っている!」「どこへやった?!」と、認知症が今程進んでなかった頃、私に電話してきた怖い父の声がふと蘇る。
でも、あの頃が懐かしい。私のことをわかってくれていた、あの頃に戻ってほしい。

寂しい思いを胸に家路を急ぎながら、Kさんの「どーしもない、どーしもねーや」をおまじないのように唱えると、元気な気持ちになれそうな気がしました。

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