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【第87回】意外にも喪失感(2008年12月27日)

私は会社の経理(もどき)を担っています。それは自分の意思というよりは「社長の妻」という立場から、周囲の無言有言の期待によるものでした。
「中小企業の社長の妻」は、なぜ当然のように経理(そして総務という名の諸雑務!)を担わなければならないのか…。私は数字も計算も苦手なのに。
私はもっと「社会福祉士」として仕事がしたいのに。
会社にいて(特に税理士さんから)「奥さん、奥さん」と言われると、とにかく反発心が渦巻いたものです(そう言われても、きっと他に呼びようがないでしょうから、一応納得はしていますが)。

そうこうしているうちに数年、扱う金額もボリュームも大きくなり、私の経理(もどき)では、実質的にも、私自身の精神的にも限界となりました。
そしてようやく経理担当の採用が決まりました。
ようやく私は、嫌々やらされていた(と思っている)経理の仕事から解放されるのです。
…ところが。やっと肩の荷が降りて、苦手な作業からも解放されて、100%嬉しいはずなのに、具体的に打ち合わせや引き継ぎ事項を確認していると、なんだか気持ちがおだやかではないのです。
嬉しい気持ちももちろんあるのです。ですが、税理士の専門用語も当然のように理解し、テキパキと質問したりしている新経理担当者の様子を見ていると、頼りになる人だと思うと同時に「私はもう必要ないんだ…」と意外にも喪失感や寂しさを感じたのです。
私自身が望んだ結果なのに。

「役割の喪失」ってこういうことなのかと思いました。理屈ではないのですね。
例えば、妻の介護をしている男性がいます。はたから見れば、一人で何もかも背負わなくても介護サービスを利用すれば良いのに…と思います。
でもその方はサービスを使おうとしません。少し利用したこともありますが、すぐにやめました。
もちろん、いろんな理由があるでしょうけれど、「自分にしかできない役割」を他人に委ねることで自分の存在意義がなくなってしまうような気持ちなのかも知れません。
それは単に「作業量」の問題でもないし、理屈でもないのですね。
今後、例えば「ヘルパーを利用する」という場合、単に「介護量の軽減」という視点だけではなく、今まで介護を担ってこられた方の「役割喪失感」という視点からのフォローも大切にしていきたいと、当たり前のことかもしれませんが、改めて気が付きました。

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