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【第74回】形に残る仕事・残らない仕事(2008年11月15日)

当社の手すりのチラシに使う写真を撮影しました。私は「手すりを使用する人」で登場しました。
ちょっとしたモデル気分!?
カメラマンさんなど、日頃接することのない職業の方とご一緒できるのは新鮮です。
チラシに私の写真が載るわけですから、私にしては珍しく「形に残る仕事」です。

当社には「住宅改修」部門もあります。
先日、お客様から「2年前につけてもらった手すりのおかげで家でお風呂に入ることができます。
そのお礼が言いたくて」とお電話がありました。
2年前の仕事が今につながり、お礼を言っていただけるなんて「形に残る仕事」ならではの醍醐味だと思います。

それに比べて「相談」部門の私の仕事は、2年前どころか、昨日お会いしたことさえも覚えていただけないことだってあります。
どれだけエネルギーを注いでも、何一つ形には残りません。講師業もそうです。
ビルや橋を作っている工事現場の人たちをうらやましく思うこともあります。
「このビルは僕(たち)が作ったんだ」と何年たっても確認することができますし、後々まで仕事の成果が存在してくれるのですから。
カメラマン、デザイナーなどの芸術系の方やそれに関わるコーディネーターの方もうらやましいです。
仕事の成果が「作品」として形に残り、その「作品」たちがあちこちに旅立って何かを伝えてくれるのですから。

私には「作品」はありません。何も残りません。「カメラ」のように使うツールもありません。
私自身が「商品」で、私自身を認めてもらって、そしてその成果は心の中に残る(かもしれない希望)のみ(それだって、残ってない場合も多いし、亡くなれば終わり)。
せめてもの救いは講師業。形には残らないけれど、受講生さんにおそらくちょっぴりでも「種」は蒔けていて、きっと世の中のどこかで芽を出してくれて、私の日々の実践はすべてその「種」の栄養になっている…と考えることはできます。
「形に残る仕事」と「形に残らない仕事」。
撮影が終わって自転車をこいで事務所に帰る道すがら、そんなことを考えました。

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