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親ケア奮闘記Part5【慟哭編】

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【慟哭編・第5回】温泉へ行こう。 その4

私は反対だ。

両親と同居すべきかどうか。
これは私が考えるのを避けてきたテーマでした。

仕事や家族のことを思えば、私が三重に戻って同居するという選択肢はあり得ません。いつかは大阪に呼び寄せて、私の自宅の側に住んでもらおうかな、などと漠然としたイメージを抱いていただけでした。

しかし、それも現実には難しいこと。散々苦労して手に入れた実家を、母が簡単に諦めるとは思えませんし、自由気ままな暮らしを楽しんできた父が環境の変化を嫌うのは、想像するまでもありません。何しろ、背の高いお風呂椅子(シャワーチェア)の使用ですら、目に涙を浮かべながら拒んでいた頃ですから。

ただ、この場でなし崩しに実家での同居を決めるわけにはいきません。私はT先生に自分が実家に戻ってくる意志が無いことを伝え、いずれは大阪への呼び寄せも考えていると話しました。

すると、それまで和やかだったT先生の表情が一変。
「私は反対だ」と強く言ってきたのです。

「反対、ですか……?」
「あぁ、反対だ。キミは『老木は移さず』という言葉を知らんのか?年寄りを知らない土地に住ませたりしたら、いろんな不都合が出てくる」
「ただ、私にも仕事や生活がありますから」
「それは、キミが解決すればよい問題だろう?これまで育ててくれたお父さんやお母さんに、感謝の気持ちはないの?」
「……あるから、ここに母を連れてきているんですが」
「本当に感謝しているのなら、何も迷うことなんてないだろ?」
「失礼ながら、それを今ここでT先生に決めつけられるのは心外です」

T先生の目つきが、さらに険しくなります。
「……心外?」
「私は、私なりに両親のことを考えています。最終的な結論は、家族で話し合ったうえで私が出します」

T先生、やめてください。

「そんなことを言って、結局はご両親のことを放ったらかしに……」
「しません!」
T先生がさらに言い募るのを、途中でピシャリと打ち切る私。
険悪なムードが高まります。

「先生……」
ここで、母の弱り切った声がしました。T先生への反発で忘れかけていた母の存在に気づき、冷静さを取り戻す私。母の精神状態を考えると、T先生と言い合う姿を見せたのは明らかに失敗だと、自己嫌悪におちいってしまいました。

しかしT先生は、さらに言い募ります。
「私はこれまで多くの年寄りが、子どもたちに捨てられてきたのを見てきた。横井さんにはそうなってほしくないだけなんだ」

「T先生、やめてください」と、母も食い下がります。ここでT先生もようやく母に気づき、「どうしました?」と問いかけました。

「先生、私の息子をいじめないでください」
「いや、私は別にいじめているわけでは……」
「息子は、私の自慢です。息子にはいくら感謝しても足りないくらいです」
「いや、だから……」
「息子がいなかったら、今頃、私は生きていません」

T先生はゆっくりと息を吐いた後、「……わかりました」と言いました。「私も少し興奮していました。横井さんがせっかく退院できたので、少しでも安心して暮らしてもらえるようになってほしかったのですが……」

ここで気を取り直し、「もちろん、私にできることは精一杯頑張るつもりです」と言う私。
「そうですね。私たちもできるだけのお手伝いをします」と返すT先生。ようやく落ち着いた会話ができる状態に戻りました。

その後、T先生と他愛のない会話を交わしながら、私の心には2つのことが引っかかっていました。

1つは、守らなければならない存在であるはずの母に助けられたことへの申し訳なさ。そしてもう1つは、今後の家族の暮らし方がどうあるべきか、です。

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