それじゃあ病棟を移動しましょうか。
目に涙を溜めて「イヤだ、帰りたい……」と力なく首を振る母を見て、私の胸は張り裂けそうでした。
すぐにも「あぁ、一緒に帰ろう」と言ってやりたい。でも、それでは入院前に逆戻り。いや、今の病状を考えたら、入院前よりよっぽど悪いかも。
自分が一緒に暮らせば大丈夫?いや、そんなことをしたら家族が生きていけなくなってしまう。そもそも、自分に母の病状を改善させることができるようなら、入院なんかしていない。
ほんのわずかな時間のはずですが、思いを巡らす私にとっては、すごく長い時間に感じられました。
束の間の沈黙を破ったのは主治医でした。
「さぁ、それじゃあ病棟を移動しましょうか」
母は怯えたような目で主治医を見つめ、次いで細かく首を振りながら私のほうをすがるような目で見ました。
どうにかしてやりたい……。
そんな手をさしのべたい衝動をグッとこらえ、私も小さくうなずき、どうにか笑顔を作りました。
「ちょうど荷物を片付けてくれていたから助かるよ。重いのは俺が持つね」
私が近くに行って肩を軽く押すと、母も諦めたのかノロノロと歩き始めました。横顔を見ると、これ以上ないぐらいに強く歯を食いしばり、声もなく涙を流しています。
孝治、なんで泣いてるんだ?
主治医の後ろに従って母とともに歩きながら、私は「なんでこんなことになってしまったんだろう」と考えていました。
1年ちょっと前、母が電話の向こうで「すべて奪われてしまった」と号泣した、始まりの日。
何カ月もかかって、ようやく精神科のクリニックへ通院するようになった日。
「入院するぐらいなら、父さんを殺して私も死ぬ」と包丁を構えてダダをこね、警官たちの力を借りてやっとの思いで入院した日。
脱水症状で父が入院したとき、「私が退院して世話をする」と言って聞かず、説得に苦労した日。
悪性症候群になって生死の境をさまよい、苦しさのあまり「私を、殺してくれ」と私に頼んできた日。
主治医も驚くほどの奇跡的な回復を見せ、退院に向けての希望が膨らんだ日。
入院後、初めての外泊で実家に泊まり、食事をしながら父と母と一緒に笑い合った日。
深い悲しみと少しの希望。そしてさらなる深い悲しみ。これまでの出来事が、脳裏に浮かんでは消えていきます。
「孝治、なんで泣いてるんだ?」と母に言われ、私は初めて自分の頬が濡れているのに気づきました。
閉鎖病棟にはものの2、3分で到着。母は「イヤだ、助けてくれ! 孝治、孝治〜!」との叫び声を残して、重くて古めかしい扉の向こうへと消えていきました。